放課後の、人気のない体育倉庫。 こんな場所に、人目を気にするようにしてショウタがやってきたのは、同じクラスのユウナに呼び出されたからだった。
「ねえ、ショウタ。ちょっと話があるんだけど。後で、体育倉庫に来てくれない?」
休み時間が終わろうとする間際、突然、ユウナがそんなことを言ってきたのだ。
「え? 何だよ。何の話?」
「大事な話。ハルカちゃんがアンタに…ていうか、来れば分かるから。一人で来て。お願いね」
それだけ言って、ユウナは立ち去ってしまった。 実際、こんなことを言われれば、十中八九、男子は女の子からの告白だろうと思ってしまう。 ショウタもそのつもりで、しかし、そんなことは表情には出さずに、そわそわした気持ちで、体育倉庫を訪れたのだった。
「ショウタ。こっち、こっち」
体育倉庫の側によると、扉の隙間から、ユウナの顔が覗いた。 どうやら、すでに中でショウタが来るのを待っていたらしい。 ショウタは無言のままうなずいて、体育倉庫の中に入った。 中に入ると、薄暗い蛍光灯の光の下に、ボールのいっぱい入ったかごや跳び箱、体操用のマットなどが、所狭しと並んでいた。
「一人で来た?」
「あ、うん…」
奇妙な緊張感が漂い、ショウタはいつもとは違う、落ち着かない様子だった。
「ちょっと待ってて。今、ハルカちゃんが来ると思うから。緊張してる?」
そう言ったユウナの方も、少し緊張しているようで、やはりどこか落ち着かない雰囲気だった。
「は、はあ? 別に、緊張とかしてねえし。ていうか、何の話なんだよ。俺、別にハルカとあんまり話したことねえし…。どっちかっていうと…その…ユウナの方が…」
薄暗い密室で、二人きりになってしまうという突然の状況に、ショウタはずいぶん戸惑っているようだった。 ハルカが自分に告白をしにくるものだと勘違いして、自分の中で勝手に話を進めてしまっている。
「あ、そうだ! ショウタってさ、空手習ってるんでしょ? ちょっと教えてよ」
ショウタの気持ちを知ってか知らずか、ユウナは突然、そんなことを言い出した。
「はあ? いや、うん。習ってるけど…」
「でしょ? ねえ、空手ってどうやるの? こうやって構えるの?」
ユウナは不器用な様子で、空手の正拳突きらしきポーズをとった。 ショウタは戸惑いつつも、これはいいところを見せるチャンスだと思った。
「え? いや、違うよ。もっと腰を落としてさ。足を開いて」
「こう?」
「うん、そうだな。それで、手を腰に当てて」
「こうやるんだ。えい!」
ユウナの不器用な正拳突きに、ショウタは思わず吹き出してしまった。
「えー? 違うの? ねえ、ちょっとやって見せてよ」
「え? しょうがねえなあ」
運動の苦手な女の子に手ほどきするというのは、男の愉悦の一つである。 それは、自分の肉体の躍動を見せつけて、雄を感じさせる行為だ。 小学生とはいえ、ショウタにもその男の本能は芽吹いていた。嫌々ながらというフリをして、得意の空手の構えをとるのだった。
「こうやって、グッと腰を落とすだろ。これが大事なんだよ。それで、腹に力を入れて、拳を前に出すんだ。やあっ!」
ショウタが気合と共に、拳を突き出した瞬間、背後の跳び箱の陰から、突然ハルカが現れた。 そして無言のまま、大きく広げられたショウタの股間に、狙いすました蹴りを浴びせた。
バシン!
と、ショウタの股間に衝撃が走った。 ショウタは一瞬、何が起こったのか分からなかったが、沈めた腰が浮くほどのその衝撃は、男の本能的な警報を脳内に響かせるのに、十分すぎるものだった。
「はっ…うっ…!!」
背後を振り返る余裕もなく、あっという間に、ショウタの体は前のめりに崩れ落ちた。 震えるような鋭い痛みが、まず脳天に突き抜けて、その後で、下腹部をねじられるような鈍痛が、じわりじわりと襲ってくる。 その時にはすでに、ショウタの体は床の上で海老のように丸くなってしまっていたが、本人はそんなことに気がつく余裕もなかった。
「音、した?」
「ううん。してない。バシンっていったよ」
ショウタを呼び出して、油断させ、足を開かせて、ベストな状態で蹴り上げる。 すべてがハルカとユウナの計画通りに行ったが、金玉を蹴ったときの音だけが、ハルカの予想と違っていた。
「ウソぉ。今のは、すっごい手ごたえがあったのに。なんで、キーンって音がしないの?」
「だから、そんな音しないって言ってるじゃない。もう、ハルカちゃんは頑固なんだから。ねえ、ショウタ。キンタマは金でできてるから、キンタマっていうんだよね?」
ユウナの問いかけにも、ショウタはまったく気がつかない様子だった。 顔を覗き込むと、これでもかというくらいに歯を食いしばり、目をつぶって、小刻みに震えている。 男だけが味わう最も苦しい痛みと、懸命に闘っている最中なのだ。
「ねえ、すっごい痛がってるよ。そんなに痛いのかなあ?」
「うん。だって、思いっきり蹴ったもん。井口先生のときの倍くらい」
「あー、そっかあ。じゃあ、痛いだろうねえ。ねえ、ショウタ、大丈夫?」
ほとんど止まっていたショウタの呼吸が、ようやく回復したようだった。 全身を強張らせながら、細く長く、息を吐き出している。思い切り呼吸してしまえば、それだけでも股間の痛みが増しそうだったのだ。
「あーん。でも、思いっきり蹴っても、キーンって音がしないんだあ。何でかなあ。やっぱり、テレビで見たのはウソだったのかなあ」
「そうだよ。だって、テレビだもん。でもさ、そのテレビでは、どうやってたの? やっぱり、蹴っとばしてたの?」
内臓を掻き回されるような、絶望的な痛みに耐えている横で、その痛みを与えた女の子たちが、無邪気に話をしている。 その理不尽さと、金玉を持たない女の子の残酷さを、ショウタは文字通り痛感していた。
「うーんとね…。その時は、女の人が後ろから蹴ってたのかなあ。こうやって。潰れろーって。…あれ? そうだ! そうだよ」
「どうしたの?」
「その女の人ね、潰れろーって言ってた。だから、そうなんだよ。潰れないとダメなんだよ! 潰れたときに、キーンって音がするんじゃない?」
痛みに震えるショウタの背筋が寒くなるようなことを、ハルカが口走った。 今、彼が両手で必死におさえている二つの睾丸は、どうやら潰れるまでには至っていないらしい。しかし逆に言えば、潰れなくてもこれほど痛いのに、もし本当に潰れてしまえば、どうなるのか。 想像もしたくないような地獄の苦しみが、ショウタの背後まで迫ってきていた。
「えー。そうなの? キンタマって、そんなに簡単に潰れちゃうのかなあ。金でできてるのに」
「それは、ユウナちゃんがそう言ってるだけじゃない。ていうか、今、ショウタのを蹴った時も、全然硬い感じしなかったよ。ふにゃっとして、柔らかい感じだったもん」
「ホントに? でも、キンタマは漢字で書くと、金色の玉なんだよ。金じゃないのに金玉って、おかしくない?」
「それはそうだけど…。でもさ、金魚だって金色じゃないのに、金魚だよ。それと一緒なんだよ」
「あー、そっかあ。そうなのかなあ」
女の子たちが他愛もない会話をしている間、ショウタは必死でこの場から逃れようとしていた。 まだ股間の痛みは重く、立ち上がれる状態ではなかったが、なんとか逃げ出さないと、下手をすれば金玉を潰されてしまうかもしれないのだ。 股間を両手でおさえながら、這いずるようにして、扉の方へ向かった。
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