「それじゃあ、第三試合。ダイゴとアサミ。リングに上がって」
モモカの膝で睾丸を蹴り上げられたマサヤは、リングを降ろしてもらった後も、回復する気配は見えなかった。 第一試合で股間にパンチをくらったコウイチでさえ、まだ部屋の隅で、正座のような姿勢をしたまま、時折股間を撫でているような状態なのである。 金玉を蹴った側の女の子たちは、試合が終わればすぐに忘れてしまうほどの出来事だったが、蹴られた男の子たちは、少なくともあと数時間は股間に痛みを感じ続け、この後数日間はこの痛みを思い出して、背筋を寒くすることだろう。 男だけが持つ急所に対する絶対的な感覚の違いが、そこには存在しているようだった。
「アサミ! 頑張って!」
「ダイゴ! 負けるなよ!」
リングに上がった二人は、対照的な表情をしていた。 楽しそうな顔で、意気揚々とシャドーボクシングをし続けるアサミに対して、金的を蹴られた男子を二人も目の当たりにして、自分もそうなるかと想像せざるを得ないダイゴは、緊張しきった様子だった。
「さあて。空手の強さを、見せてもらおうかなあ」
目の前で、アサミはそんな挑発的な言葉を吐いてみせた。 ダイゴはそれを聞いて、さらに表情を険しくしたが、ふと見ると、アサミはさっきまで着ていたTシャツを、いつの間にか脱いでいた。 それは女子ボクシングの試合用のコスチュームのようなものらしく、大きくお腹を出したタンクトップと、ピチピチのスパッツ姿で、ダイゴの目から見れば、ビキニの水着に等しいほどのものだった。
「よおし。やるぞぉ!」
気合と共にアサミが激しくパンチを繰り出すと、モモカほどではないにしろ、十分大きいと言っていい彼女の胸が、プルプルと揺れた。 それは思春期のダイゴの目を釘づけにするには十分なもので、さらにキュッとくびれたウエストや、その下にある緩やかなカーブを描くヒップラインが、男の欲情を誘った。 リングサイドから見ているだけでは分からなかったが、マサヤはこんな刺激的な光景を見ながら試合をしていたのかと、ダイゴは思わず唾を呑みこんだ。
「…いっちに、さーんし…」
さらに、そんなダイゴの心境を知ってか知らずか、アサミは自分のコーナーで柔軟体操を始めた。 前屈をするたびに、彼女の胸の谷間は強調され、くるりと後ろを向けば、ヒップラインが下がりきった股間のあたりに、なだらかな膨らみを確認することができた。 ダイゴは試合に集中しようと頭では分かっていたが、決して目を離すことはできなかった。
「じゃあ、試合開始するよ? 始め!」
カァン!
試合開始のゴングが鳴った。 これまでの試合と同じように、ボクシング部のアサミは軽いステップを踏みながらリング上を動くのに対し、空手部のダイゴは、わずかに重心を移動させながら、どっしりとかまえている。 ダイゴは試合のルール通り、アサミから三本取ることを狙っているのではなく、重たい一撃で試合を続行不可能にしてやるつもりだった。
「やあっ! せいっ!」
しかし、間合いが遠い。 ダイゴの前蹴りや回し蹴りは、ことごとく空を切った。 アサミは警戒しているのか、ダイゴの脚が届く範囲には、簡単に入ってこようとしなかった。 しかしダイゴが大振りな蹴りを出すたびに、一歩踏み込んで、低い位置からパンチを出そうとする仕草をとった。 それは、第一試合でユウナがコウイチに放った、股間へのアッパーカットを髣髴とさせるもので、ダイゴの背筋に寒気を起こさせるには、十分すぎる効果があった。
「くっ!」
徐々に、ダイゴの蹴りは高い位置への回し蹴りから、低いローキックへと変わっていった。 隙を作れば、股間へ攻撃されるという恐怖からのことである。 一撃必殺を狙っているのは、どちらか分からなくなってしまう試合展開だった。
「うおっ!!」
ダイゴが思わず声を上げて腰を引いたのは、一瞬の隙をついて、アサミが攻撃を仕掛けてきたからである。 試合が膠着したところで、相手の呼吸の虚を突いた素早い飛び込みは、実はアサミの得意技だった。 当たらないと分かっている、まったく気持ちのこもっていないローキック。そんな攻撃が、一番危ない。 ダイゴが不用意に繰り出した蹴り足が、リングに着くかどうかのタイミングで、アサミは思い切って頭を低くして踏み込み、超低空のアッパーカットを放ってきたのだ。
ブンッ!
と、風を切る音が響いた。 アサミがダイゴの股間を狙ったのかは定かではなかったが、少なくともダイゴはそう感じた。 冷や汗をかく思いで、今度はダイゴの方から大きく距離を取らざるを得なくなった。
「どうした? 打ち合って!」
審判役のナオキが促しても、両者は容易に近づこうとしなかった。 アサミのそれは、軽やかにステップを踏み、相手の隙を突こうとする作戦だということが明らかだったが、ダイゴの場合は違っていた。 金的攻撃を恐れるあまり、自分でも無意識のうちに腰を引いてしまっており、空手のかまえとしては、ひどく不格好なものなってしまっている。 その様子をみていたリングサイドの女子ボクシング部員たちからは、思わず失笑が漏れた。
「ちょっと、ビビりすぎじゃない? すっごい腰引けてるよね?」
「カッコ悪…。やっぱり怖いのかな。…キンタマ?」
「ちょっ…。キンタマとか、言わないでよ。…男の急所でしょ」
静まりかえったリング上に比べて、リングサイドにはクスクスと笑い声が聞こえていた。 それはもちろん、リング上の二人にも聞こえたし、何より同じリングサイドで応援している男子空手部員たちにとっては、聞こえないふりをしたいくらい、恥ずかしいことだった。 そしてそれは、女子空手部員たちにとっても同様だったようである。
「ダイゴ! ビビってないで、前に出なさいよ!」
「金的くらい、気合で何とかしなさいよ! 男でしょ!」
女子の空手部員たちにとっては、空手がボクシングに劣っていると思われるのが嫌だったようだ。 同じ男子の空手部員には、決して軽はずみにはいえないようなことを、平然と言ってのけた。
「くっそ…!」
あちらこちらから、勝手なことを言われているのが、ダイゴの耳にも否応なく入ってきた。 対するアサミを見れば、それらすべてが、自分の計算通りだと言わんばかりに、余裕のある表情を浮かべている。 ダイゴはつぶやきながら、覚悟を決めた。
「うおーっ!」
心持ち左手を下げ、下腹部をカバーしながら、体当たりするようにしてアサミに突っ込んでいった。
「あっ!」
ほとんど破れかぶれと言ってもいい、ダイゴの戦法だったが、距離を取り、ヒット&アウェイの戦法を得意とするアサミに対しては、案外と有効だった。 180センチはあるダイゴの巨体が突っ込んできたことに、アサミはさすがに狼狽し、あっという間にロープに追い詰められてしまった。 二人の間の距離はほとんどなくなり、肩で押し合うような体勢になる。 この状態から威力のある攻撃を出すのは、二人とも難しそうだった。 さらにダイゴは、しっかりと半身になって、アサミの金的攻撃を警戒しているようだった。
「くっ…!」
「せいっ! やっ!」
体で押し合うと、やはり大きいダイゴの方が圧倒的に有利だった。 ほんの少し、空いた隙間で、ダイゴはアサミの腹にパンチを当てたり、膝蹴りでアサミの脚を攻撃したりしてくる。 一発一発はそれほどの威力はないが、ダメージの蓄積と、体力を奪われることが、アサミにとってはまずい状況だった。
「もー…! 離れなさいってば…!」
アサミが押し返そうとしても、ダイゴはぐいぐいと体を入れてくる。 密着した状態から、何度か下腹部にパンチを打ってみたが、ダイゴのガードが固く、すべて防がれてしまった。
カァン!
ここで、第1ラウンド終了のゴングが鳴った。 ダイゴは自分の作戦が意外なほどうまくいったことに、内心、喜びを隠せないようで、少し微笑みながら、安心したようにコーナーに戻っていった。 一方のアサミは、序盤こそ押し気味だったが、後半の1分ほどでかなりの体力を奪われてしまった。肩で息をしながら、コーナーの椅子に腰を下ろした。
「大丈夫?」
セコンドに入ったユウナが、心配そうに声をかけた。
「まあね。ちょっと予想外かなあ…。次も今みたいな感じで来られると、マズイな…」
アサミは、対角線上にいるダイゴの姿を見つめながら、何か考えているようだった。
「ねえ、ユウナ。ちょっとお願いがあるんだけど」
「え? なに?」
そう言うと、アサミはユウナを自分の正面に立たせて、あちら側のコーナーから見えないようにした。 ダイゴは、セコンドから貰った飲み物を飲みながら、その様子を注意深く観察している。 第2ラウンドもこの戦法でいきたいが、油断はできないと、自分を戒めているような顔つきだった。 やがて、第2ラウンド開始のゴングが鳴った。
カァン!
ダイゴは、気合を入れるように帯を締めなおして、コーナーを離れた。 アサミはギリギリまで、ユウナにグローブを触ってもらっているようだった。 そしてダイゴはやはり、また体当たりするようにしてアサミに突っ込んでいった。
「うおーっ!」
アサミはそれを予期してかのように、素早く横にステップを踏んで逃れようとした。 しかしダイゴもまた、それを予期していたようで、すぐに方向転換をし、アサミをコーナーに追い詰めようとした。
「行けー! ダイゴ!」
「アサミ! 頑張って!」
情勢は、いまや完全にダイゴの方に傾いていた。 アサミは健闘もむなしく、再びコーナーに追い詰められ、なす術なく体力を奪われてしまう。アサミのフットワークが止まれば、さらにダイゴにとって有利な状況になるはずだった。
「おおっし!」
肩で体当たりする際に、ダイゴから気合の声が漏れた。 相変わらず、左手のガードは下げたままで、金的攻撃を警戒している。 油断さえしなければ、ダイゴの勝ちは見えてくるはずだった。 しかし。
「ふんっ!」
意外にも、今回はコーナーに追い詰められたアサミの方から、体をぶつけるようにして、接近してきたのである。 極度に接近した状態から、どういう手があるのか。アサミ以外の女子ボクシング部員たちにも分からなかった。
「んっ! このっ!」
アサミの全体重をかけた押しに、さすがにダイゴも力を入れなおした。 二人の体は密着し、その呼吸さえ聞けるような距離になった。 そのまま数秒間、押し合いが続いたとき、
「あ…! ん…やだ…」
突然、アサミが潤んだような声を出し始めた。 それは密着しているダイゴにしか聞こえないほどのつぶやきだったが、それがかえって、ダイゴの耳の奥深くに届く効果を出していた。
「やだ…もう…。胸が…」
ふと見ると、いつの間にかダイゴの太い肩に、アサミの柔らかい乳房が押し付けられているような状態になっていた。 ダイゴがぐいぐいと肩で押そうとすると、アサミの胸は柔らかく変形し、擦り上げるようなことになってしまっていたらしい。
「ねえ、ちょっと…」
アサミは眉を寄せて、少し憂いを含んだような瞳で、上目づかいにダイゴの顔を見た。 グラビアアイドルが、何か恥ずかしいことをおねだりしているかのような、そんな表情だった。
「あ…! ご、ごめ…んっ!」
ダイゴが驚いて、わずかに半歩、その体を後退させた直後だった。 大きなグローブにおさまっていたはずのアサミの右手がするりと抜けて、ダイゴの股間に伸び、その真ん中にぶら下がっているはずの二つの睾丸を、道着の上から思い切り握りしめた。
「ぎゃあああ!!」
「何か、コロっとした塊だった」と、試合後にアサミは女子ボクシング部員に語った。「握ってみると案外堅くて、つい、思いっきり握ってしまった」とも語っている。
「ぐああぁぁ…っ!!」
握られた方のダイゴは、まさしく地獄の苦しみを味わっていた。 先程まで雄々しく体当たりをしていた大きな体を一瞬にして丸め、なんとかアサミの手から逃れようと、必死に腰を引こうとしている。 しかし、アサミが少し力を込めて引っ張るだけで、あっけなくダイゴの体からは力が抜けて、あっという間に立っているのもやっとという状態になってしまたのだ。
「あ…これは…。反則…か?」
審判役のナオキは、アサミがその手に握っているものを見て、思わず顔をしかめたが、これが反則かどうか、判断しかねた。
「あー。これは、えーっと…。どうかなあ…」
女子空手部のミオも、一瞬、頭を掻いて考えてしまう。 もちろんその間も、ダイゴの睾丸はアサミの手の中に握られ続け、焼けつくような痛みを与えている。
「えー。反則かなあ? だって、ここを攻撃するの、ありなんじゃなかったっけ?」
アサミは、わざとらしくそう尋ねる。
「うーん。金的はありって言ったけど…。どうかなあ。握っちゃうのは、空手でも反則かなあ…」
ミオを含め女の子たちは、ダイゴの苦しみなど他人事のようにして、悩んでいた。
「ちょっ…! とりあえず、離せよ! お前、グローブ脱げてるだろ!」
見かねたナオキが、そう言ってやる。
「あ、そっか。グローブはしないとね。ボクシングなんだから。ゴメンゴメン」
にっこりと笑うと、アサミはようやくダイゴの睾丸を放してやった。
「ぐ…! あぁ…ん…。ハア…ハア…」
解放されたとたん、ダイゴはその場に膝をついて、股間を両手でおさえるようにしてうずくまってしまった。 万力のように感じた圧力からは逃れたとはいえ、ダイゴの金玉からは、相変わらずジンジンと鈍痛が湧き出てくるようだった。 アサミにとっては、ほんの数十秒の出来事でも、ダイゴにとっては果てしなく長い苦しみの時間だった。
「じゃあ、一応、握るのは反則ってことにしようか。さすがに、試合にならないからね」
「はーい。気を付けます」
ミオの決定に、アサミはニコニコしながら返事をした。 足元で苦しんでいるダイゴに対して、少しも悪びれた様子はなさそうだった。
「ダイゴ、大丈夫か? 立てるか?」
リング上では唯一、男子ボクシング部のナオキがダイゴの心配をしてくれていた。 ナオキも女の子に金玉を握られた経験はなかったが、その痛みは同じ男として、容易に想像できた。
「あ…うう…」
ダイゴの顔から血の気が引いて、しゃべることも辛そうだった。 金玉のダメージは、短時間でおさまるものではないことを、男たちはよく知っている。 そして女の子であるアサミも、先程の試合で金玉を攻撃されたコウイチとマサヤが、いまだに苦しんでいるのを見て、そのことに気がついていたのだろう。 もしダイゴが立ち上がれても、もはや試合どころではないほどのダメージを受けていることは明らかだった。
「なに? 立てないの? だらしないわね。反則だったから、ちょっと待ってあげるからね。試合は最後までやりなさいよ!」
審判役のミオが、厳しい言葉をかけてくる。 彼女はつまり、空手が負けること自体が許せないだけで、ダイゴのダメージや体調などはどうでもよかったのだ。
「あ…ああ…。くく…!」
同じ空手部の人間にそう言われれば、ダイゴもうなずかざるを得なかった。 ダイゴにとって、もはや誰が味方なのか分からなくなってしまう状況だった。 数分後。 ミオと空手部の女子に、半ば無理矢理立たされたダイゴが、まったく力の入らない様子で、かまえをとっていた。 もはや女の子の視線など気にする余裕もなく、あからさまに腰を引き、片手で下腹部のあたりをおさえている。 敵であるはずのボクシング部のナオキが気の毒になるくらいの状態だった。
「じゃあ、試合再開しましょうか。始め!」
止まっていた時計が、動き出した。 このラウンドは、あとどのくらい残っているのか。 いずれにせよ、ダイゴは終了のゴングが鳴るまで立っている自信はなかった。
「いくよーっ! えいっ!」
ダイゴが苦しんでいる間、友達と談笑さえしていたアサミは、冷えた体を温めるかのように、次々とパンチを繰り出してきた。 ダイゴの様子を見て、もうなにも警戒する必要はないと判断したようだった。
「うっ! くっ!」
それでも、ダイゴは片手でできる限り、アサミのパンチを防ごうとした。
「それ、それっ!」
しかし、アサミのパンチは徐々にダイゴの顔面をとらえ始めた。 フットワークもなく、上半身を動かすだけでも苦しそうなダイゴに、アサミのコンビネーションを防げるはずがなかった。
「はい! ワン、ツー!」
ビシッ、ビシッ! と、お手本のようなワンツーがダイゴの顔面に決まった。
「うっ…!」
脳を揺らされて、一瞬、ダイゴの意識が飛びかける。 そこへさらに、アサミの低めのボディがきた。
「うあっ!」
空手の帯の下、下腹部のあたりに決まったパンチは、その衝撃を、じんわりと股間にまで伝えてきた。 それは普段なら、大したことのない衝撃だったが、すでに痛めつけられているダイゴの睾丸にとっては、深刻なダメージであった。
「く…くく…」
何とかダウンすることだけは踏みとどまったものの、両手で股間をおさえ、ギュッと目をつむりながら、痛みに耐えていた。 その間、数秒。 アサミはなぜ攻撃をしてこないのかと、ダイゴは目を開けた。 すると。
「あー! 痛い、痛い! アハハハハ!」
ダイゴがしているのと同じように、アサミも両手のグローブで自分の股間をおさえ、内股になり、尻を突き出していた。 そして眉を寄せて、泣き出しそうな顔をしてみせた後、大きく口を開けて笑ったのである。
「……っ!!」
ダイゴにとっては、これ以上ない屈辱だった。 自分の金玉を攻撃した女の子が、どれくらい痛いものかと面白そうに観察し、試合中だというのに、ふざけているのである。
「おい、アサミ! まじめにやれ!」
ナオキが見かねて、アサミを注意した。 敵とはいえ、男としてダイゴに同情せざるを得なかった。
「ダイゴ! 情けない。しっかりしなさいよ!」
一方のミオは、ただ同じ空手部がバカにされていることが悔しいようだった。 金玉の痛みを分かち合える敵から同情され、痛みの分からない味方になじられると、ダイゴは自分は何のために試合をしているのか分からなくなってきてしまった。
「はいはい。まじめにやりまーす」
アサミはすでに、この試合の勝利を確信して、遊んでいるような様子だった。 吐き気さえ催してくるこの痛みを、彼女が与えているのかと思うと、ダイゴはアサミが恨めしかった。 しかし、アサミのピチピチのスパッツの股間を見ると、すっきりとしていて、そこには男のように不必要な突起物などまったくないようだった。 内股になった時にできる、恥骨と両脚の間の小さな三角形の隙間は、女の子特有のもので、それを見たとき、ダイゴの心は完全に折れてしまった。
「ん? うらやましい?」
視線に気がついたのか、アサミは小さく笑った。 ダイゴはその笑顔に面喰って、大きな隙を作ってしまう。
「じゃあ、いくよ! ワン、ツー! アッパー!」
前のめりになっていたダイゴの顔面を、アサミはサンドバッグでも叩くかのようにリズミカルに打ちつけた。 顎に入ったアッパーカットで、ダイゴの脳は激しく揺らされ、ようやくこの痛みから解放されるかと思った。 ダイゴの膝から、力が抜ける。
「とどめ!」
しかし、アサミは無情にも、ダイゴの股間に最後のストレートパンチを打ちつけた。
メリッ!
と嫌な音がして、ダイゴの股間にある男の象徴がひしゃげる。
「んんっ!!」
正面からの金的は、真下からの攻撃ほど威力はない。 しかし、これまで金玉に蓄積していたダメージが、また一気に吹き返してくるようだった。
「ああ…うう…」
これで終わると安心して、油断していただけに、ダイゴの絶望は大きかった。 再び、あの悶えるような苦痛と闘わなくてはならないのだ。 リングの上で丸まったダイゴは、目をギュッとつむって、ひたすら時間が過ぎるのを待つことしかできなかった。
「ダウン! ワン、ツー、スリー、フォー…」
「ちょっと、カウント、早くない? ちゃんと10秒にしてよ」
「え? いや、これが普通だけど…」
「もう一回、最初からやってよ」
「…ワーン、ツー、スリー…」
ミオが食ってかかるので、ナオキはしぶしぶ、カウントを取り直した。 それはもちろんミオのあがきというもので、彼女はそれで、あるいはダイゴが回復して立ち上がってくれるのを期待していた。 しかしナオキの目から見れば、ダイゴのダメージは深刻で、一刻でも早く試合を終わらせたかったし、ダイゴ自身、早くリングを降りて、介抱してもらいたがっていた。
「…ナーイン、テーン!」
ややゆっくりめの10カウントが、ようやく終わった。
「勝者、アサミ!」
「やったあ! 勝ったあ!」
アサミが両手を挙げて喜ぶと、リング上に女子ボクシング部員たちがどっとなだれ込み、祝福した。 一方の男子空手部員たちは、さんざん痛めつけられたダイゴを抱えるようにして、無言のままリングを降りて行った。
「どう? これで、武道場でボクシング部が練習してもいいってことだよね?」
リングを降りていくダイゴに、アサミは声をかけたが、ダイゴは返事さえできなかった。 ただ悔しそうに、唇を噛みしめている。 そこに、ミオが立ちはだかった。
「ちょっと待ってよ。まだ、女子空手部と男子ボクシング部の試合が、残ってるんだけど」
ミオは、男子空手部の情けない敗北に、憤慨しているようだった。 その他の女子空手部員たちも、それは同様のようである。
「あ、そうか。じゃあ、とりあえず、ボクシング部の二勝一分けってとこね。男子、頑張ってよ!」
アサミはそう言って、男子ボクシング部のナオキを激励したが、ナオキはこれまでの試合を見ていて、嫌な予感しかしなくなっていた。 そしてその予感は、より悪いカタチで的中することとなる。
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