2ntブログ
男の絶対的な急所、金玉。それを責める女性たちのお話。


そこは今どき、監視カメラもついていないような古い本屋だった。
店主は居眠りばかりしている老人だし、アルバイトのタクヤでさえ、この店は万引きし放題だろうなと思っていた。
しかし、そもそも入ってくるお客自体が少ないから、たいていの場合、意外なほど平穏な時間が、この本屋には流れているのだった。

「いらっしゃいませー」

ある日の夕方、女子高生が一人、店に入ってきた。
この辺では見かけない制服だなと、タクヤは思った。
彼女はチラリとレジの方を見ると、そのまま店の奥へ入っていく。
本棚が密集しているそこは、レジからはよく見えない死角になっていた。
まさかとは思いながら、タクヤは少し警戒することにした。
さりげなくレジカウンターを出て、女子高生の後ろ姿を確認する。
彼女はマンガ本の棚の前にいるようだった。
そう思った次の瞬間。
女子高生はマンガ本を数冊、棚から抜き取り、自分のバッグの中に素早く押し込んだのである。

タクヤあっと息を呑んだ。
女子高生は、自分の行動が見られていることに気づいていないようだったが、むしろタクヤの方が緊張してしまった。
万引きだと直感したが、このまま店を出るまでは分からないと思い、見なかったふりをして、女子高生に背を向ける。
女子高生は、脇に抱えていたバッグを肩にかけなおすと、ちょっと周りを見回して、そのまま出口に向かって歩き出した。
彼女が店を出た瞬間、タクヤも動いた。

「ちょっと! お客さん!」

その声が女子高生の耳にも入ったはずだが、立ち止まりはしなかった。
このまま逃げる気だと思ったタクヤは、バイトのエプロン姿のまま、店を飛び出した。

「ちょっと待って! そこのキミ!」

逃げようとする女子高生の肩を、後ろから掴んだ。
長い茶髪を翻して、彼女は振り向いた。

「はあ? なんですか?」

すでに半分キレている。
そんな態度だった。

「なにって、わかってるでしょ? ちょっと来て!」

タクヤも興奮しており、女子高生の腕を掴んで、逃がさないようにした。

「わけ分かんないんですけど! 何の用ですか?」

「分かんないことないでしょ! そのバッグの中のモノ、確認させてもらうから。ちょっときて!」

二人は引っ張り合いになった。
女子高生は必死で逃げようとしたが、さすがに男の力には勝てず、タクヤが勝るかと思われたその時、

ゴスッ!

と、女子高生の革靴のつま先が、タクヤの股間に深々とめり込んだ。

「はうっ!!」

その痛みは一瞬でタクヤの体から力を奪い、その場にひざまずかせることになる。
女子高生は手を振り払い、そのまま走り去ってしまった。

「うぐぐ…!」

本屋の店先で、タクヤは男の苦しみに喘ぐことになった。
道を通る人たちは何事かと彼を見ていたが、関わり合いになろうとはせず、彼が店内に戻ったのは、それからしばらく経ってからのことだった。




翌日。
まだ少し痛む股間を抱えて、タクヤはレジカウンターに立っていた。
昨日の万引きの件は、結局警察には通報せず、店主にも黙っていた。
下手に報告すれば、タクヤの責任を問われてしまうし、股間を蹴られて女子高生を逃がしてしまったなどと、誰にも言いたくなかったのだ。
幸い、店主は万引きなどにはあまり関心がないようだし、もう忘れてしまおうと思っていた矢先。

「いらっしゃいませー。…あ!」

昨日の女子高生が、再び店にやってきたのだ。
タクヤは思わず目を疑ったが、まぎれもない、昨日万引きをした女子高生だった。
彼女はタクヤをチラリと見て、そのまま昨日と同じように、店の奥に入って行った。
タクヤはどうしたものかと思ったが、とにかく彼女の行動を見張ることにした。
店主が居眠りをしているのを確認すると、女子高生の後を追って、店の奥に入っていく。
本棚を曲がれば、そこには彼女が昨日万引きをしたマンガ本のコーナーがあるはずだった。
しかし。

「うっ!」

目の前に、いきなり女子高生が現れた。
彼女はタクヤが来ることを予想して、本棚のかげに隠れていたようだった。

「動かないで! 動いたら、膝を跳ね上げるよ」

女子高生は小声でそう言った。
至近距離で、彼女はいつの間にか、タクヤの両脚の間に自分の脚をねじ込んでしまっていた。
もし彼女が膝を跳ね上げたら、タクヤの股間は再び押しつぶされることになる。
タクヤの脳裏に、昨日の苦しみが蘇ってきて、思わず体が硬直した。

「そう。声も上げちゃダメよ。ちょっとこっちきて」

女子高生はタクヤの肩を掴んで、彼の背中を本棚に押し付けた。
これで完全に、彼らの姿はレジの方からは見えなくなってしまう。もちろん、タクヤの股間に膝は入ったままだ。

「この店にいるのは、アンタとあのおじいちゃんだけ?」

タクヤは小さくうなずいた。

「あっそう。アンタ、昨日のこと誰かに話した? 学校とか、警察とか」

タクヤは首を振った。

「そう。それなら良かった。もし話したりしたら、アンタの金玉、ぶっ潰すからね」

彼女の眼は本気だった。
チラリと下を見ると、女子高生の白い太ももが、相変わらずタクヤの股間のすぐ下でかまえられている。
大きな本棚を背負ったこの状況では、タクヤに逃げ場はなさそうだった。

「わ、わかりました…」

「良かった。一応、学校では優等生で通ってるからさ。あんまりハデなことできなくて、困ってるんだよね。新品のマンガって、けっこういい値段で売れるからさ。たまにここに来させてもらうね?」

どうやら彼女は、小遣い稼ぎのために、万引きをしているようだった。
しかしそれはタクヤにとって、到底容認できることではない。

「そ、そんなこと…ひっ!」

言いかけたとき、コン、とごく軽く、女子高生の膝がタクヤの股間に押し付けられた。
昨日、蹴り上げられたばかりの金玉は、あの地獄のような痛みをまだ覚えている。

「なに? なんか文句あるの?」

「あ、い、いや…。でも…はうっ!」

グイっと、女子高生は膝をさらに股間に押し付けた。
斜め下の角度から、タクヤの睾丸は圧迫を受けることになる。

「男の金玉ってさあ、超痛いんでしょう? 昨日はゴメンね。私も焦っちゃって、あんまり手加減できなかったんだ。痛かったんじゃない? 潰れなかった?」

膝からの圧力が、少しずつ強くなっていくのを感じながら、タクヤはうなずいた。

「そう。良かった。ていうのはさ、前に元彼の金玉、潰しちゃったことあって。まあ、向こうが浮気したからなんだけどね。後ろから思いっきり蹴とばしたら、グチャって感じで。金玉って、意外と簡単に潰れちゃうんだね。あ、コレ、その時の写真」

女子高生はタクヤにスマホの画面を見せた。
そこには、白目をむき、泡を吹いて倒れている男の姿が写っている。

「ウケるでしょ? なんか、ピョーンって飛び跳ねた後、気絶しちゃったからさ。一応、撮っといたんだ。友達に見せたら、爆笑してたよ。金玉蹴られたくらいで泡吹くとか、ありえなくない?」

写真を見るタクヤの背筋に、冷たい汗が流れた。

「しかも、潰れたのって一個だけだからね。二個のうち一個しか潰れてないのに、気絶するとかどんだけなのって感じじゃない? もう一個も潰してやろうかって言ったら、土下座して謝ってきたんだよ。まあ、結局別れたんだけどね」

女子高生の膝は、さらに強くタクヤの股間を押し付け始めた。

「一個潰れただけで超痛いんだから、二個同時に潰れたら、どれくらい痛いと思う? まあ、私には分かんないけど。たぶん、気絶するくらいじゃすまないんじゃないかなあ。アンタ、試してみる?」

「あっ! うぐぐぐ…!!」

いまやタクヤの睾丸は二つとも圧迫され、その形を歪めている。吐き気を催すような強烈な痛みが、下腹から湧き上がってきた。
身をよじって逃れようとしても、女子高生の膝は、器用にタクヤの動きを追いかけてくる。
もはや彼に残された道は、女子高生の言うとおりにすることだけだった。

「や、やめて…! 分かったから、やめてください…!」

「あっそう。じゃあ、私、たまにここに来て、マンガとか貰っていっていい?」

タクヤはためらいがちにうなずいた。

「ハッキリ言いなよ!」

女子高生はグッと膝を押し上げる。

「ぐあっ!! は、はい…。分かりました。マンガとか…持って行っていい…です…」

「そう。ありがとう」

女子高生は、スッと膝を降ろしてやった。
タクヤは、自分の睾丸が本当に潰れたかと思った。
すぐさま股間に手を当てて、その無事を確認する。解放されたとはいえ、まだ股間には鈍い痛みが響いていた。

「あれ? そんなに痛かった? ゴメンゴメン。ちょっと強くやりすぎたね。男って大変だね」

女子高生は無邪気に笑いながら、前かがみなったタクヤの背中をさすってやった。

「じゃあ、今日はコレ、貰っていくからね」

いつの間にか、女子高生の手には数冊のマンガ本が握られていた。
彼女はそれを、当然のように自分のバッグに入れてしまう。
タクヤはそれを黙認するしかなかった。

「またよろしく。じゃあね」

女子高生の後ろ姿を見て、できるだけ早く、このアルバイトを辞めてしまおうと、タクヤは決心していた。

「あ、そうだ」

立ち去ったと思い、少し安心していたタクヤの耳元で、女子高生の声がした。
タクヤはハッとして、振り返る。

「アンタ、バイトでしょ? もしかして、この店辞めようとか思った?」

タクヤは返事をしなかったが、その表情を見れば明らかだった。

「アハハ。やっぱり? 予想通り。ウケる」

女子高生は笑っていたが、その顔がタクヤには小悪魔のように見えた。

「言っとくけど、アンタがこの店辞めたら、私が警察に万引きのことバラすからね。アンタと私が付き合ってて、アンタに言われて万引きしてたってのは、どう? みんな信じると思わない?」

タクヤは愕然として、何も言えなかった。

「アンタ、大学生とかでしょ? アタシは未成年だし、か弱い女子高生だし、いろいろ大変なことになりそうだね? フフフ」

女子高生の手が、後ろからスッとタクヤの股間に伸びた。

「ま、お互い助け合っていかなきゃね? 言う通りにしてくれればさ、痛いことだけじゃなくて、いいこともあるかもよ?」

女子高生の手が、尻の隙間からタクヤの睾丸を掴み、柔らかく撫でまわした。

「ね?」

ギュッと、その手がいきなり、睾丸の一つを強く握った。
タクヤはうっと呻いて、その場に膝をついてしまう。

「アハハ。じゃあね」

女子高生はその様子を見て小さく笑うと、今度こそ店を出て行ったようだった。




終わり。





「一本! 赤!」

とある空手の大会で、波乱が起きていた。
実践的な試合をすることで有名なこの流派の大会では、その激しさから、女性の出場者が極端に少なかったため、男子と女子を分けず、合同で試合を行うようになっていた。
女性の出場者は、いても数人。それも大抵、一回戦で敗退する。しかし今大会で、そんな今までの常識を覆す女性選手が現れたのである。

「勝者、西ノ宮!」

「押忍! ありがとうございます!」

試合場の中央で一礼をしたのが、西ノ宮チホだった。
頭を下げたその先には、両手で股間をおさえ、息も絶え絶えになっている男性選手がうずくまっている。
担架が到着し、男性を乗せようとすると、慎重に動かそうとしたにも関わらず、男性は苦しそうに声を上げた。

「う…! ぐああっ!! ああ…!」

「だ、大丈夫か? よし、もうちょっとゆっくり…」

その様子を見たチホは、もう一度軽く会釈をすると、静かに試合場から出た。
試合を観戦していた選手たちは、声もなかった。
この会場にいるほとんどが男性で、そのすべてがチホのあざやかすぎる勝利に驚き、また相手選手の尋常でない苦しみ様に、自分を重ね合わせてしまっていたのだろう。

「軽量級決勝戦、池上選手と西ノ宮選手の試合は、30分後に行われます」

会場にアナウンスが流れると、チホはほっと息をついて、試合場を離れていった。
その後ろ姿を見つめていたのは、彼女と同年代で、同じ道場で稽古をしたこともある佐伯アキラだった。
身長が180センチ以上もある彼は、重量級の決勝戦進出をすでに決定している。

「おい、佐伯。今の試合、どう思う?」

横にいた選手が尋ねた。

「ふん…。あんなもんだろう。アイツは、西ノ宮はな」

佐伯は無口だが、こと空手に関しては、傲慢な意見しか言わない男だった。
それを知っていたから、横にいる友人も、あえて彼に尋ねたのである。

「お前、勝てるか? 前に同じ道場にいたんだよな。その時は、どうだったんだ?」

「階級が違う。だが、練習試合で負けた覚えはないな」

「そうか。そうだよな」

男性の急所を蹴り上げるという手段でチホが勝利をおさめたことに、この会場にいる男全員が少なからず動揺していた。
その動揺で失った自信を取り戻そうと、この選手は佐伯に質問をしたわけだったが、その答えは十分に満足できるものだった。
やはり、男が女に負けるわけがない。まして、日々の稽古で鍛え上げた肉体と技を持つ自分たちが、あんな小柄な女性に後れを取るはずはないと、会場にいる男性の誰もが信じようとしていた。
しかし佐伯の印象は、実は彼らの期待通りではなかった。

(西ノ宮…。腕を上げたな…)

実は佐伯は、チホの試合を一回戦から注目して見ていた。
かつて同じ道場で稽古をしていた時から、彼女が恵まれない体格ながらも非凡な才能を持ち、さらにそれを根気よく磨く稀有な忍耐力を持っていることを知っていたからである。
今まで一度も大会に出場していなかったチホが、満を持して出場を決めたということは、彼女の空手に何らかの成果が出たということであろうと、佐伯は推測したのである。
果たしてその推測は、当たっていた。
一回戦。軽量級とはいっても、男性選手は皆、チホよりも10センチ以上身長の高い選手ばかりだった。
打撃系の格闘技では、リーチの差は勝敗を決める大きな要因になる。そのハンデを、チホがどう覆すのかと佐伯が見ていると。

「始め!」

「えい!」

審判が開始を宣言した瞬間、チホの金的蹴りが相手選手の股間に決まった。

「ほうっ!!」

この大会では、金的蹴りは反則ではない。
しかし男性ばかりの試合では、どうしてもそこは敬遠されがちな急所になってしまっていた。
その油断をついて、チホは開始早々に相手の無防備な金的を蹴り上げたのである。

「くっそ…! この…ううっ! くくく…!!」

蹴られた直後、一時はチホに反撃するかという様子だった相手選手は、その数秒後に内股になって、股間をおさえながら膝をついてしまった。

「どうだ? 続けられるか?」

相手を5秒以上ダウンさせるか、戦意喪失させれば、一本勝ちとなる。
審判が尋ねると、相手選手は痛みに奥歯を噛みしめながら、顔を上げた。

「や、やります! いけますよ…!」

女に金玉を蹴られて、秒殺されるわけにはいかない。そんな思いが、彼を突き動かしているようだった。
しかしその全身には、耐えがたい痛みと苦しみが広がってしまっている。

「お、押忍…! ああっ!! くぅ…!」

かまえようと足を踏ん張った瞬間、下半身を猛烈な痛みが襲ったようで、思わず腰を引いてしまった。
その様子を、チホは眉一つ動かさず、冷静な目で観察している。

「よ、よし。では、始め!」

一応は試合が再開されたが、その後は無残だった。
チホはやっとのことで立ち上がった選手に対し、無情にもさらに金的蹴りを狙うそぶりを見せ、その脚の動きに過剰に反応したところに、中段突きを決めた。
突きのダメージはそれほどのものではなかっただろうが、相手選手の体力は、そこで尽きてしまった。

「勝者、西ノ宮!」

佐伯だけでなく、その試合を観戦していたすべての選手たちが、感嘆の声を上げた。
女性選手が一回戦を突破したことは数年ぶりで、まだこの段階では、その快挙を素直に祝福する余裕が男性たちにもあった。
しかし、続く二回戦。
チホの相手は、前回大会の軽量級優勝者だった。
一回戦を見ていた彼は、チホの金的蹴りを警戒し、やや内股になってかまえていた。
そしてそのまま、素早い突きを連続で繰り出してきたのである。

「たあっ! せいっ!」

さすがに前回の優勝者だけあって、見事な連続攻撃だった。
ただし金的蹴りを警戒し慎重になりすぎるあまり、本人も気づかないうちに、その攻撃の間合いは若干遠くなってしまっている。
思い切った踏込みの無い攻撃では、いかに体格差があっても、そう簡単に倒れるものではなかった。

「この…!」

小柄な女性を倒しきれないいら立ちが、相手選手の顔に読み取れた。
チホはその間もじっと防御を固め、攻撃に耐えている。

「く…!」

一旦仕切りなおそうと、相手選手が離れた。
蹴りなどの威力の高い大技で仕留めようという気配が見えた。
そうして脚を上げたその瞬間、

パシン!

と、スナップの利いた金的蹴りが、相手選手の股間に炸裂していた。

「ぐあっ!!」

驚いたように飛び上がったあと、すぐに訪れた猛烈な痛みに、そのままうずくまってしまう。

「あ…ああ…!! うぐぐぐ…!!」

何が何だか、分からなかった。
自分が蹴りを出そうとしたその時、その瞬間に、股間に衝撃を感じ、激しい痛みと共に体の自由を奪われてしまった。
油断したつもりはまったくなく、隙を見せたつもりもなかった。
どう思い返しても、チホがいつ金的蹴りを繰り出したのか分からなかったが、そういう思考もまた、とめどない地獄のような苦しみの中に溶けていってしまうようだった。

「い、一本! 勝者、西ノ宮!」

先程とは次元の違う選手の苦しみ様に、審判はすぐに一本を宣言した。

「だ、大丈夫か? おい、担架だ。担架を持ってこい!」

選手の顔を覗き込んでも、反応は帰ってこなかった。
金的を蹴られた選手は、青白い顔をして、うつろな目で試合場の床を見つめている。
チホは一礼し、相手に声をかけることなく、試合場を出た。
彼女の勝利を称賛するものは、誰一人いなかった。
前回大会の優勝者を一撃で沈めてしまった西ノ宮チホという選手に、会場が恐怖を感じ始めたのは、このときからだったろう。


離れた場所から試合を見ていた佐伯の背筋にも、冷たい汗が一筋流れていた。
彼をはじめ、会場中の誰にも、チホの金的蹴りがいつ相手選手の股間に届いたのか、はっきりと認識することができなかったからである。
相手選手が連続攻撃をやめて、一歩下がる。蹴りを出そうと、脚を上げる。その空いた股間に、チホの金的蹴りが決まる。
理屈で考えればそうに違いないのだが、チホの金的蹴りには、まったく「起こり」が見えなかったのである。
相手選手の攻撃の動作の中に、突然わり込んできた。そうとしか形容のしようのないチホの金的蹴りを見て、佐伯は驚嘆していた。

(アイツ、極めたな…!)

武道の精髄は、初動の動きを消すことにある。
攻撃を出す際のわずかな体の動きを「起こり」と呼ぶが、武道の熟練者になると、これらの予備動作を見て、相手の次の動きを予測するようになるからである。
「蹴ろう」とする意識を相手に悟らせず、「蹴る」という動作に反応させず、「蹴った」という結果だけを残す。
それが武道の達人と呼ばれる者の技であり、これを完成させるのは、気の遠くなるような反復練習と豊富な実戦経験以外にない。
佐伯の見たところ、他の技はともかく、チホの金的蹴りはこの達人の領域にまで達しているようだった。
試合中、彼女に金的を蹴ろうという意識はことさらなく、ごく自然に男の最大の急所に脚を振り上げ、無意識のままに相手を地獄に突き落としていく。
躊躇い、恥ずかしさ、罪悪感、そういったものが一切感じられない、ほとんど反射といってもいいその金的蹴りは、不純物の無い宝石のように完成された美技だった。
佐伯は一人の武道家として、その技の出来栄えに敬意を感じていたが、それを体得するために、チホがどれほどの稽古を積み、どれだけの数の実戦で男たちの金玉を蹴り上げてきたのか、考えると恐ろしい思いがした。


続く三回戦も、チホは見事な金的蹴りで勝利した。
前の試合を見た相手選手は萎縮してしまい、試合開始直後から、完全に腰が引けてしまっていた。
不格好でも、とにかく金的だけは蹴られないようにしたいというその選手の股間にも、チホの美しく極められた金的蹴りは決まってしまうのである。

「はうっ!! ああっ…もう…!!」

予想して、覚悟はしていても、金玉の痛みだけは耐えられるものではない。
眼に涙を浮かべながら、その選手は簡単に降参してしまった。
そして同じように準決勝も見事に勝ち上がったチホに対して、会場中がしらけきってしまっていた。
金的は反則ではない。
反則ではないが、それはルールで決まっているだけで、本当はやはり反則なのだと、すべての男性選手が喉まで出かかっているその言葉をぐっとこらえているようだった。
当のチホは、そんな男性たちの心の叫びをあるいは感じ取っているのか、素知らぬ顔で誰とも目を合わせようとしない。
この会場中の誰と戦っても、この金的蹴りがある限り自分は負けないという自信が、その目に表れているようだった。
やがて彼女は、決勝戦の前に休憩をとるのか、試合場のあるホールを離れ、選手控室の方へと歩いて行った。





佐伯はチホの後ろ姿を見て、同じ道場に通っていたころを思いだしていた。それはもう5年ほど前のことだったが、その当時から彼女は、金的蹴りの稽古を人一倍熱心に行っていた記憶がある。
一方の佐伯は、恵まれた体格と才能を生かして、すでに大会で好成績をおさめるようになっていた。
二人はそれほど親しい間柄ではなかったが、一度、佐伯が聞いたことがある。

「おい、西ノ宮。お前、金的蹴りの稽古ばかりしてるが、そんなことして意味があるのか?」

その質問に、チホはきょとんとした顔をした。
佐伯の質問の意味は、チホが普段、道場で試合をする相手は女性がほとんどなのに、金的蹴りの稽古をする必要があるのか、ということだった。
そのころはまだ佐伯でさえ、チホが大会に出て、男性を相手に試合をするようになるとは考えられなかったのだ。
しかしその意図が、チホには伝わらなかったようだった。

「だって、私みたいに身長も力もない人間が、大きな相手を倒そうと思ったら、金的を狙うのが一番なんですよ。佐伯さんみたいな大きな人だって、金的をまともに蹴られれば、立っていられないでしょう?」

それは確かにそうだが、俺はそんなことを聞いたわけじゃないと、佐伯は口をつぐんだ。
この女は何か、自分とはまったく違うことを考えているようだと、何となく感じた。

「大きな相手を倒すって、お前は何を目指してるんだ? 試合に勝ちたいわけじゃないのか?」

普段の試合では男性と女性がやり合うことは滅多にないし、さらに選手たちには階級というものもある。
あまりに違う体格の選手同士が戦うことはほぼありえないのに、チホは何を思って金的蹴りを極めようとしているのだろうと、佐伯には理解できなかった。
するとチホは、少し考えるように首を傾げて、中空を見つめた。

「うーん、そうですね…。試合に勝ちたいとは思ってますよ。ただどうせ勝つんだったら、自分より体格の大きな人に勝つのが楽しいような気がするんですよね。って、私より小柄な人って、そんなにいないと思いますけど」

チホの身長は、150センチそこそこというところだった。
確かに女性でも、空手を習おうという人は、チホよりも低い身長の人はなかなかいない。

「こんなこと言ったら、怒られるかもしれないですけど。私よりずっと大きな人が、たった一回の金的蹴りで沈んでしまって動けなくなるのは、面白いと思ってます。前の大会で佐伯さんに勝って優勝した人だって、私の金的蹴りをまともに受ければ、動けなくなると思うんですよね。そう考えると嬉しいというか、楽しいというか。でも武道っていうのは、本来そういうものだと思うんですよね」

「武道だと?」

「はい。最小限の力で、最大限の効果を生み出し、身の危険を払うというのが、武道の本来の目的じゃないですか。私は、金的蹴りはその武道の目的に一番近い技なんじゃないかと思っています」

チホの口から、武道という思いもかけない言葉が出たことに、佐伯は面食らった。
しかし、この小柄な若い女性が、武道の理念のようなものまで考えて稽古をしていたとは、片腹痛いという思いもある。

「なるほど。確かにお前みたいに非力なヤツには、ちょうどいいのかもな。お前がいくら体を鍛えても、俺みたいに蹴りで相手をふっとばすことはできないからな」

厚い胸板を反らせるようにして、佐伯は嘯いた。

「はい。そうですね。だから私は、絶対に鍛えられない急所を狙うんです。相手の弱点を狙わないと、私は勝てませんから」

佐伯の皮肉など、まったく意に介していない様子だった。
あるいは彼女自身、体格や力の問題に関しては、自問自答を繰り返してきたのかもしれなかった。自分の恵まれない体格を嘆き、悩み、それでも相手に勝ちたいと考え続けた結果が、金的蹴りなのかもしれない。
金的蹴りを極めれば、どんなに大きく強い男にでも勝つことができる。彼女はそう信じて、誰からも認められなくても、金的蹴りの稽古を続けているのかもしれなかった。
しかし、佐伯のように生まれついて強靭な肉体を持った男にとっては、空手の試合とは相手を叩きのめすためのもので、そのためには技を磨く必要もあるが、何より相手を圧倒する力を持っていなくてはならないというのが絶対の真実だった。
二人はお互いを認めてはいるものの、完全に理解することはできないということを、肌で感じた。

「ふん。そうか。そういうことなら、せいぜい頑張るんだな」

「はい。頑張りますよ」

チホは笑いながら、大きくうなずいてみせた。




佐伯はあの時のチホの笑顔を思いだし、生意気なヤツだと思った。
確かにあの時とは比べ物にならないほど、彼女の金的蹴りは上達しているようだったが、それをもって自分も参加しているこの大会を制してしまおうなどと、認めたくはないという気持ちだった。
佐伯は立ち上がると、チホの後を追うように、ホールを出て行った。


決勝戦が始まる10分前、チホが控室を出てきた。
その表情は落ち着いていて、いい意味での緊張感に溢れている。
一歩一歩確かめるように廊下を歩きだすと、目の前の床が、不意に暗くなった。

「よう。西ノ宮。いよいよ決勝戦だな。初出場でここまでくるとはな」

見ると、佐伯の巨体が廊下を塞ぐようにして立ちはだかっている。
彼も自分の決勝戦前のはずだが、チホが控室から出てくるのを待っていたようだった。

「佐伯さん。お久しぶりです。佐伯さんこそ、3連覇がかかった決勝じゃないですか。頑張ってください」

チホの表情は、試合の直前とは思えないほど、涼やかなものだった。

「まあな」

佐伯は鼻で笑った。お前に言われるまでもないという雰囲気で、傲岸な態度を隠そうともしていなかった。
チホが目だけで笑って、歩き出した時、

「つまらない技を身につけたみたいだな。お前らしいといえば、らしい」

チホが佐伯の顔を見上げた。

「階級が違って、良かったな。あんなくだらん技をいくら極めても、俺には通用しないぞ。カウンターでふっとばされるのがオチだ」

ニヤリと笑っている。
佐伯が自分の金的蹴りのことを指していることがチホにも分かったし、その裏に彼女の血のにじむような稽古があるのを見抜いていることが、すぐに理解できた。
そして、それを全面的に認めていないということも。

「そうでしょうか…」

チホは口元で少し笑っただけで、そのまま下を向いて、佐伯の横を通り過ぎようとした。

「おい、待て!」

予想していたよりもずっと薄い反応に、佐伯は不満を覚えた。
その肩を掴むようにして、チホを引き留めようと振り向いた。
その時、

「うっ!?」

自分の股間に、突然違和感を感じた。
目を落とすと、いつの間にかチホの右脚が振り上げられていて、さらに足の甲が、ぴったりと道着の股間に張り付いている。
目を疑うような、あざやかな金的蹴りの寸止めだった。

「あっ…う…!」

佐伯ほどの空手の達人が、チホの蹴りを見逃すはずがなかった。事実、彼はチホの前に立った時から、瞬きほどの隙を見せたつもりもない。逆に隙あらば彼女に一撃を入れようかという気概すら持っていたつもりだった。
しかし現実は、チホの白い素足は無防備な股間に跳ね上げられ、わずかに触れるか触れないかのところで寸止めされているのである。
チホにもしその気があれば、佐伯は今ここで立っていることなどできないはずだった。

「試合中じゃないからなんて、言いませんよね?」

チホは、かすかに笑っているように見えた。
さらにその眼は、今、次の瞬間にでも、つま先を佐伯の股間に引っかけてえぐり抜き、彼に地獄の苦しみを味わわせることもできると、そう言っているようだった。

「一日二千本。この数年間、私が続けてきた金的蹴りの回数です。毎日毎日、男性の金的を蹴ることだけを考えてきました。股間にある二つのタマを思い浮かべて、一日も休まずです」

チホは脚を下げぬまま、語り始めた。
ピタリと寸止めをしたまま微動だにしない、恐ろしく強靭な足腰を身につけているようだった。

「実戦で倒したのは、三百人くらいかな。たくさんの方の金的を蹴らせてもらいました。百人を過ぎたくらいからかな。足の感触で、金的のことが分かるようになってきたんですよね。蹴られた後、どう衝撃が伝わって、どういう風にタマが動いて、どう歪んでいくのか。どうやって蹴れば痛みが増すのかも、よく分かるようになりましたよ、フフフ…」

佐伯はまったく身動きができなかった。
少しでも抵抗する気配を見せれば、ただちに床を這いつくばることになると、彼の直感が教えていた。

「そうすると、不思議ですよね。最初は小さくて狙いにくいと思っていた金的が、すごく大きなものに思えてくるんです。相手がどんなに素早く動いても、金的だけは見逃しません。あ、大きいって言っても、そういうアレじゃないですよ。特に佐伯さんのは…まあ、普通かな。フフフ…」

チホの脚が、佐伯の金玉を品定めするように、柔らかく動いた。足の甲で転がすようにして、大きさを確かめているようだった。
不覚にも、佐伯はその動きに男の快感を感じてしまう。
それすらも見透かしているような、チホの笑顔だった。

「金的蹴りって身につけると、とっても便利で楽しいですよ。今、私の道場では、小学生の女の子たちに金的蹴りを教えているんです。みんな上達が早いですよ。佐伯さんや他の男の人たちは、なんで金的蹴りを使わないんですか? 痛いのが分かって、かわいそうだからですか? それとも、自分も蹴られるのが怖いから? どうなんですか?」

「そ、それは…」

「まあどっちにしろ、ちゃんと練習しとかないと、女性と立ち合った時には、簡単に蹴られちゃいますよ。女は金的の痛みも知らないし、自分が蹴られる心配もないんですから。こんな風に、思いっきり、バシンってね!」

「や、やめろ…!」

チホがわずかに脚を下げて、金的を蹴る素振りを見せたとき、佐伯は思わず叫んでしまった。

「バシン!」

「うわっ!」

チホの脚は、その言葉とは裏腹に、佐伯の金玉をわずかに持ち上げただけだった。
下半身には、かすかな鈍痛がじわっと広がっただけだったのだが、佐伯は思わず、股間を両手で抑え、内股になって守ろうとしてしまう。
結局その反応すらもチホの予想通りだったようで、彼女は静かに脚を降ろし、脂汗でびっしょりになった佐伯を見下ろした。

「佐伯さん。階級が違って、良かったですね」

佐伯が顔を上げたときには、すでにチホは背を向けて、歩き出していた。




その後、チホは決勝戦で見事に勝利し、この大会で初めての女性の優勝者となった。決勝の相手は、チホに合計で3回、金的を蹴られてしまった。
一度目は相手も警戒していたため、チホのつま先がかすった程度。それでも、相手選手の体にはかなりのダメージがあり、それにより生まれた恐怖心は、彼本来の動きのキレを奪うには十分すぎるものだった。
そうして動きが鈍くなったところに、二度目の金的蹴りが決まる。
しかしこれも相手の攻撃をかわしながらだったためか、十分な体勢でなく、相手選手は男の意地を見せ、立ち上がった。
そこで別な技を使っても勝てたのだろうが、チホの右脚は無情にも、三度相手の股間を跳ね上げた。
スピード、角度、タイミング、それらすべてが、今大会で繰り出した金的蹴りの中で最高と呼べるもので、蹴ったチホ自身が快感を感じるほどに、非の打ちどころのない金的蹴りだった。
もちろん、蹴られた方は一瞬で気絶し、幸いにも地獄のような苦しみを意識のあるうちに味わわずにすんだ。


大会が終わった後、男女が試合をするときには、ファールカップの着用を認めるとすぐさま決定された時に、反対する者は誰一人いなかった。


佐伯は腹痛で決勝戦を棄権し、3連覇はならなかった。




終わり。


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