「じゃあ、西田さん。すいません。いきますね?」
「お、おう! …いや、ちょっと待て、お前。分かってるな? 最初は軽くだぞ、軽く」
「はい! 軽く蹴りますから、大丈夫です!」
ズボンを脱ぎ、トランクスの上に自社製のファールカップを装着した西田の前に、チナミがかまえていた。 結局、二人は深夜の営業室で、ファールカップの性能テストをすることになってしまった。 何でも思い立ったらすぐ実行するというのがチナミの信条だったが、こればかりは自分一人でできることではない。 自社の製品を改良し、売り上げを伸ばすという大きな目的のために、先輩の西田を懸命に説得したのである。
「えーと…。こうですか? こう蹴りましょうか?」
靴を脱ぎ、黒いストッキングに包まれた脚をぎこちなく素振りしてみる。 その様子を見て、西田はやっかいなことを引き受けたと後悔する思いだった。
「お前…空手とかの経験はあるのかよ?」
「あ、いいえ! 体育の授業で、柔道を少し。学生時代は、陸上の短距離をやっていました!」
「そうか…」
ならば、足腰はしっかりとしているだろうと思い、西田は覚悟を入れなおした。
「いいか。金玉はマジで痛えからな。だから、ファールカップなんてもんを着けるんだ。それを理解してくれよ?」
「はい! 気を付けます!」
仕事の一環として、真剣にこなそうとしているようだが、どこかチナミはうれしそうだった。
「最初は、二割くらいの力で蹴ってくれよ。いいな? 二割だぞ」
「はい! 二割の力で蹴ってみます。では、いきます!」
「おう!」
チナミが腰を落としてかまえると、西田も目をつぶって、大きく足を開いた。 そうは言っても、格闘技経験のある自分が、自分よりもはるかに小柄なチナミなどの蹴りを耐えられないはずがないと、どこかで確信しているようだった。 「えい!」
チナミの右脚がぎこちなく振り上げられ、彼らが懸命に売り込もうとしている白いファールカップを直撃した。
ボン!
と、鈍い音がして、西田は股間に衝撃を感じた。
「んっ!! んん…」
西田はとっさに、腰を引いた。 ジワッと重苦しい衝撃が腰のあたりに広がってきたが、我慢できないほどではなかった。
「う…ん…。ああ…なるほどな…」
つぶやきながら、腰に手を当てて、天を仰いだ。 その様子を、チナミは興味深げに見ている。
「どうですか? 痛いですか?」
「あ? ああ、まあ…痛えっちゃ痛えな…。ちょっとズレたかな…」
言いながら、ファールカップの位置を直すように、右手でさすった。 本当はもっと早く股間をさすりたかったのだが、チナミの目の前で金玉をおさえることは、少し恥ずかしかったのだ。
「あ、そうですか。ズレやすいんでしょうか。だから、痛くなってしまうとか?」
チナミはメガネを上げながら、西田の股間を凝視する。 彼女にとってはまったく得体のしれない事情が、そこにはあるようだった。
「どのくらい、痛いんですか? データにしないといけないですよね。着けてないときを10とすると、5くらいですか?」
「いやお前、データって言ってもな…。着けてないときなんて、知らねえよ」
「あ、そうですよ! 着けてないときと着けたとき、両方調べないと、効果が分からないじゃないですか! 西田さん、コレ、一回外してください!」
「ああ? バ、バカ言え、お前! コレ外したら、モロに蹴られちまうじゃねえか!」
「いや、そうしないと、意味ないですよ! すいません。私が気がつかなくて。もう一回、同じ力で蹴りますから、比べてください」
金玉の痛みの分からない彼女は、ごく自然な様子でそう提案していた。 西田はもちろん抵抗したが、チナミの必死の説得によって、渋々ファールカップを股間から外したのだった。
「お、おい! ファールカップなしは、マジでヤバイからな? 力を間違えんなよ? いいな?」
「はい! 二割の力ですね? やってみます! でも、あの…ウチのファールカップって、着けても意味ないって言ってませんでしたっけ? だったら、さっきとあんまり変わんないんじゃ…。ちょっと強めにしましょうか?」
「バ、バカ野郎、お前! 着けても意味ないってのは、そうじゃねえんだよ! 着けてもけっこう痛いってだけで、ファールカップがあるのとないのじゃ、ぜんぜん違うんだよ!」
「え? そうなんですか? でも、ウチのは性能が低いって言ってたから…」
「お前、ホントに分かってねえだろ! 金玉の痛みってのはなあ…クソッ! も、もういいから…。とにかく軽く蹴れよ!」
男にとっては世界共通に近い、金玉の痛みの感覚というものを説明しようとしたが、金玉のついていないチナミには、それは結局分からないだろうということを思い、西田は諦めたように脚を開いた。
「はい! いきます! それ!」
ブン! と、チナミは再び右足を振り上げた。
「はうっ!!」
蹴られた瞬間、西田は目を見開いた。 先程とは比べ物にならない、重苦しい痛みが、内臓にまで響いてくるようだった。
「う…くぅ…!!」
もはや見栄を張ることも考えず、チナミの目の前で、股間を両手で抑え、背中を丸めた。 軽くとはいえ、無防備にさらした股間を蹴り上げられたのだから、当然だろう。
「あ…! 西田さん? 大丈夫ですか?」
チナミの方も、さっきとはまるで違う西田の痛がりように、驚いてしまった。 蹴った瞬間、足の甲にグニュっとした感触を感じたが、あれが金玉だったのだろうかと、思い返していた。
「あの…。どのくらい痛いですか? さっきのと比べると…二倍くらいですか? 三倍くらい?」
「くくく…!!」
痛みに苦しむ西田は、返事をするどころではない。 何も知らずにそんなことを聞いてくるチナミに、心底腹が立ったが、そんな怒りさえ呑み込んでしまう程の痛みだった。
「い、痛えよ、てめえ…! ちゃんと、二割って言っただろ…!」
「え? あ、はい。二割で蹴りましたけど…。じゃあ、あの…ファールカップを着けて、もう一回蹴ってみましょうか?」
「はあ? な、何言ってんだ、お前…? うう…!」
「いや、でも、すぐに比べないと、分かんないじゃないですか。その痛みの記憶が残っているうちに、もう一回蹴ってみないと。ダメですか?」
「すぐにって、お前…! ちくしょう…!」
股間から発せられる痛みは、あと数十分間の休息を要求していたが、後輩の女の子に股間を蹴られて、なめられるわけにはいかないというプライドが、西田を動かした。 さきほど脱いだファールカップを手に取って、股間に装着しようとする。
「ううっ! くっ!」
しかし、股間の膨らみの部分に少しでも衝撃を与えると痛むようで、ファールカップが膨らみに触れないよう、慎重に装着するしかなかった。
「あ、それは…。ああ、なるほど。そうやるんですね…」
あまりにもゆっくりとした西田の動きに、自然と目が行ってしまう。 股間の膨らみを下から持ち上げるようにしてカップの中に入れる様子は、女性のチナミにとっては、興味深いものだった。
「バ、バカ、お前! ジロジロ見んなよ!」
「あ、いや、でも、どういう風に使うものなのか、見ておきたくて…。お客様にも説明しないといけませんし…」
あくまで仕事のことを考えている様子のチナミに、西田もそれ以上何も言えなかった。
「ちくしょう…! 着けたぞ!」
再びファールカップを装着した西田は、いつの間に顔中を汗で濡らしていた。
「あ、はい! 西田さん、大変ですけど、頑張りましょう!」
大変なのは俺だけだと、西田は叫びたかった。
「部長も、コレが売れれば、特別手当を出すって言ってましたから。西田さんが協力してくれたことも、私、ちゃんと報告しておきます!」
意外な言葉が、チナミの口から出てきた。 あの部長め、俺がファールカップの営業をしている時には、そんなことは一言も言っていなかったくせに、と西田は思った。 逆にあのケチな部長がそこまで言うからには、コレが売れなければ、チナミだけでなく、自分の立場も危ういのではないかと感じた。 それでなくても、西田は常日頃から、営業部長とはそりが合わないと感じていたので、何としてもこのファールカップを改良して売れるようにしなければならないと思った。 「いきます! それ!」
3回目の金蹴りで、チナミは少し慣れてきた様子だった。 西田が考えを巡らせている間に、なんのためらいもなく、足を振り上げた。
ゴスッ!
と、ファールカップが跳ね上げられる。 最初の蹴りと比べると、うまく標的をとらえられたように、チナミは感じた。
「あうっ!!」
一瞬、呼吸が止まるほどの衝撃が走った。 ファールカップに守られているはずの二つの睾丸のうち一つから、ピンポイントな痛みが股間の神経に這い上がってくるような気がした。
「ど、どうですか?」
股間を両手で抑え、歯を食いしばって耐えている様子の西田を、覗き込んでみる。
「う…くく…! ズ、ズレたぞ、バカ…!」
「え? ズレた? ズレたって、その、ファールカップがですか?」
「そうだよ、バカ! うぐぐ…!」
どうやら、蹴りの衝撃で、ファールカップがズレてしまい、ファールカップのフチの固い部分が、西田のタマの一つに直撃したらしかった。
「えっと…それは…。ズレると、痛いんですか? 記録しとかないと…」
言いながら、チナミはメモを手に取っていた。 その間も、西田は苦痛に顔を歪めている。自社で作ったファールカップの欠点を、身を持って知ることになった。 素人のチナミが蹴ったくらいで位置がズレるなんて、こんなもの売れるわけがないと、文字通り痛感する思いだった。
「あの、西田さん。ファールカップがズレたときって、どうなるんでしょうか? 説明して頂けますか?」
「だから、それはお前…。カップの周りに、固い部分があるだろうが。ズレるとそれが当たって、痛えんだよ…!」
「ああ、なるほど…。固い部分が当たる、と…。え…でもそれは、ズレなくても、最初から体に当たってるんじゃないですか?」
メモを取りながら、疑問をぶつける。 女性であるチナミには想像もできないことが、西田の股間では起こっているのだ。
「バカ…! 体に当たったって、どうってことないんだよ。タマに当たるから、痛えんだろうが!」
「あ、そうなんですか…。えと…タマっていうのは、つまりその…睾…丸ってことで、いいんですよね?」
「知らねえよ! タマはタマだ! 金玉って書いとけ!」
恥じらうように確認を求めたチナミだったが、西田にとっては馬鹿馬鹿しいやりとりだった。 怒鳴られると、チナミは少し顔を赤くしながら、黙ってメモ帳にペンを走らせた。
「でも、そうなるとやっぱり、ウチのファールカップはズレてしまうから、効果がないってことなんでしょうか?」
「そうだな…。それだけじゃないかもしれないが、ズレやすいってのは、確かだな…」
いくらか痛みがおさまってきた様子の西田は、忌々しそうに股間のファールカップを見た。
「私、ちょっと試してみたいことがあるんですけど、いいですか?」
「ああ?」
西田が痛みをこらえている間に何か思いついていたようで、チナミは目を輝かせながら、西田の背後に回り込んだ。
「お、おい! 何を…」
「こうやって、ファールカップを目いっぱい持ち上げて、体に密着させるんです。グイーッと!」
チナミは西田の了解も得ないままに、背後から西田が履いているファールカップのバンドの部分を、力いっぱい引っ張り上げた。 そうすれば、確かにファールカップは西田の股間に密着することになるだろうが、股間に敏感なものを抱えている男としては、それは慎重にやってもらいたい作業だった。
「ちょ、お前…! お…ほぅ!」
思わず、奇妙な叫び声が出てしまう。 何度か衝撃を受けて、わずかに熱を帯びているに睾丸に、固いプラスチックのカップがピッタリとくっついているのを感じた。
「はい! こうして留めておけば、ズレません。どうですか?」
取り出した安全ピンでバンドを留めると、ファールカップは極限まで密着したまま動かなくなった。 西田は股間に冷たい風が抜けるような違和感を感じて、知らないうちに腰を曲げて、つま先立ちになってしまっていた。
「どうって、お前…。これじゃあ…」
「じゃあ、この状態で蹴ってみますね? いいですか?」
チナミは、集中すると自分の考えに没頭してしまうタイプらしく、西田の様子などはあまり気にしていなかった。 ただ、この状態ならカップがズレないから、痛くないだろうと思っただけで、西田の二つの睾丸が、カップの強化プラスチック一枚に仕切られた向こうに密着しているなどとは、想像もつかなかった。
「いきます!」
「ちょ、待て! 待てって…!」
つま先立ちになっていた西田には、チナミの蹴りを避ける素早さはなかった。 彼にできたことはただ、蹴りが当たる瞬間、わずかにジャンプして、衝撃を少しでも逃がすことくらいだった。
ゴン!
「ぐえっ!!」
西田の感覚では、ほぼ直撃に近かった。 カップと睾丸の間に隙間ができていないと、ファールカップは着けていてもあまり効果がないものになると、改めて思い知ることとなった。
「ぐぅぅ…!!」
カップなしで蹴られた時よりも、わずかにマシな程度だったその衝撃は、西田の両足から力を奪い、その場にうずくまらせてしまった。 さっき金玉を蹴られた時のダメージが、さらなる衝撃によって、またぶり返し、体全体の自由を奪っていくようだった。
「あ、あれ? 西田さん?」
チナミは、自分の予想とは全く違う結果に、純粋に驚いていた。
「もしかして、痛いんですか? あれ…? おかしいなあ…」
「クソ…! この…!」
少しでも痛みを紛らわせようと、西田は床に頭を擦りつけながら、歯を食いしばっていた。
「でも、西田さん! しっかりしたデータが取れましたから、これを開発部に報告しましょう! それで、どんどんこのファールカップを改良していったら、きっと売れるようになりますよ。頑張りましょうね!」
床に這いつくばりながら、脂汗をかいている西田に向かって、チナミはにっこりとほほ笑んだ。 その無邪気な笑顔を見ると、西田はそれ以上、何かを言う気力を失くしてしまった。
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