「音、するよ。だって、テレビでやってたもん」
「ウソ。そんな音しないよ」
「えー。だってぇ…」
4年生のハルカとユウナが、何やら話し合っていた。 ハルカは音がするといい、ユウナはしないという。 何の話をしているのか、側を通りかかった男性教師の井口が、声をかけた。
「君たち、何の話をしてるの?」
井口は二人の担任ではなかったが、メガネをかけた優しそうな雰囲気は、クラスを問わず人気があった。
「あ、先生。聞いて。ユウナちゃんが、わたしはウソつきだって言うの」
「だって、ウソついてるんだもん。ウソつきとは言ってないよ」
「ウソ! 言ったよお」
「言ってない! ウソつかないでよ、ハルカちゃん!」
「ほら、また言った! ユウナちゃんの方が、ウソつきじゃない」
「それはだって、ハルカちゃんが…!」
子供のケンカは、ときに収拾がつかなくなる。 井口は、会話に入ったことを少し後悔したが、このまま放っておくわけにもいかなかった。
「はいはい。分かったから。二人とも、ちょっと待って」
先生の言葉に、ハルカとユウナは渋々口を閉じた。
「ハルカちゃんもユウナちゃんも、ウソつきじゃないってことは、先生がよく知ってるから、大丈夫。もともとの話は、何だったの? 何の話でケンカになったの?」
「それは…」
「別に…」
二人はとりあえず落ち着いたようだったが、井口の問いかけには、口ごもった。 すると突然、何かに気がついたように、ハルカが顔を上げた。
「先生! わたしがウソつきじゃないってこと、証明してみてもいい?」
「ん? 証明って…」
「先生が協力してくれれば、証明できると思うから。お願い、先生!」
井口にとっては、まったく意味の分からないことだったが、生徒がウソつきでないことを証明したいとなれば、協力しないわけにはいかなかった。
「うん。先生でよければ、手伝うよ。ユウナちゃんも、それでいいかな?」
「別にいいけど…。先生がよければ」
ユウナは意味ありげにつぶやいた。
「じゃあね、先生。ハルカと手をつないで」
ユウナの言葉は気になったが、完全にその気になっているハルカに、井口は両手をあずけてしまった。 二人は両手をつないで、向かい合った状態になる。
「はい。これでいい? それで、ハルカちゃん。何を話してたの?」
「あのね。キーンって音がするかどうかってことなの。蹴った時に」
「え? キーンって音?」
その言葉に、一抹の不安が頭をよぎった時には、すでに遅かった。 ハルカの右足が、井口の股間めがけて振り上げられ、その小さな足の甲が柔らかい塊を跳ねたとき、井口の頭の中には、何かが弾けるような音が響いた。
「はうっ!」
思わず井口は、つないでいたハルカの両手を、強く握りしめた。 しかしそれも一瞬のことで、すぐに全身の力が抜けて、その場に膝をついてしまう。 痺れるような鈍痛が、井口の下腹部から湧き上がってきた。
「音、した? キーンって」
「してないよ。だから、キンタマ蹴っても、そんな音しないって言ったじゃん」
振り向いたハルカに、ユウナがそれ見たことかと言い放った。
「だって、テレビではしてたんだもん。蹴ったらキーンって音がするから、キンタマっていうんじゃないの?」
ハルカは本気でそう信じていたようで、さも残念そうだった。
「違うよ。キンタマのキンは、金色の金だよ。金でできた玉が入ってるから、キンタマっていうんだよ」
「えー。そうなの? 違うよね、先生? キーンって音がするから、キンタマなんだよね?」
ハルカは、井口の両手を握ったままだった。 その手には力がまったく入っておらず、ブルブルと震えている。 井口は、突然自分の急所を蹴り上げたハルカを、大声で怒鳴りたい気持ちだったが、股間から湧き上がってくる痛みに耐えるのに精いっぱいだった。
「あれえ? 先生、大丈夫? 痛かった?」
ハルカは、ようやく井口の痛みが尋常でないことに気がついたようで、自らノックアウトした相手を、顔を覗き込んで心配した。
「う、うん…ちょっとね…」
井口はようやく、それだけ言うことができた。
「ほらあ、ユウナちゃん。先生、痛いみたいだよ。キンタマが金でできてるなら、すごい硬いはずでしょ? こんなに痛がるはずないじゃん」
ハルカが言うと、ユウナも少しむくれた様子で返した。
「えー? だって、キンタマは大事なトコロっていうもん。大事ってことは、金でできてるんじゃないの?」
「違うよ。やっぱり、キーンって音がするから、キンタマなんだって。今のはさ、蹴り方が悪くて、小っちゃい音しかしなかったんだよ。だから、ちょっとしか痛くないんだよね、先生?」
ちょっと痛い、と言った意味を、ハルカは自分流に解釈してしまったようだった。 しかし、股間に睾丸のぶら下がっていない、金玉の痛みを一生知ることのない女の子たちの無邪気な勘違いを、否定する気力は今の井口にはない。
「じゃあ、色が金色ってだけなのかなあ。でも、それじゃあ別に大事なトコロじゃないよね。ただ、蹴られたら痛いだけだもん。いらないトコロじゃない?」
「だからあ。蹴り方がダメだったんだってば。もう一回、他の男子のを蹴ってみようよ。絶対、キーンって音がするって」
「うーん。じゃあさ、クラスの男子の誰かを呼び出して…」
ハルカとユウナは、痛みに苦しむ井口のことなどすでに眼中にない様子で、次に金玉を蹴る男子を誰にするか、話し合い始めた。
「次はさ、キンタマの色も見てみようよ。わたし、ちゃんと見たことないんだ。だから、体育倉庫とかに呼び出して…」
「うん、そうしよう。ショウタあたりがいいかなあ。アイツ、呼び出したら、すぐ来そうじゃない?」
「そうだね。次こそ絶対、うまく蹴りたいなあ。あ、先生、ありがとうね。わたしたち、もう行くね」
「また今度、蹴らせてもらおう。じゃあね」
ハルカとユウナは、新しい遊びでも見つけたかのように、わくわくした表情で立ち去って行った。 これから、一体何人の男子生徒が、彼女たちの犠牲になるのか。井口はそれが恐ろしかったが、かといって、彼女たちを止める元気もなかった。
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