「えいっ! やあっ!」
ふらついて、腰を低くしていた小林に向かって、立て続けにローキックを放つ。
ビシッ! ビシッ!
と、肉の弾ける音が、会場内に響いた。 ピンクファルコンの革製のロングブーツが、小林の太ももの裏を直撃している。
「おらあっ! どうしたあっ!」
相手の攻撃をいかに受け止めるかが、プロレスの美学である。 小林はチャンピオンとして、ピンクファルコンのローキックをガードする気はまったくなかった。 むしろ、「もっと打ってこい」と言わんばかりの形相で、挑発している。
「……フフ!」
十発以上のローキックを放ち、小林の太ももは赤く腫れ上がってきた。 それでも微動だにしない小林に対して、ピンクファルコンは一旦攻撃を止めたが、その口には不気味な微笑みが浮かんでいる。
「それっ!」
突然、小林の背後に回り込んだピンクファルコンは、その大きく開かれた股の間を、先程までのローキックとは比較にならないほどの軽い威力で、蹴り上げた。
パシン!
と、かなり控えめな音が、会場内に響く。
「あぐっ!!」
すると、さっきまで強烈なローキックを受け続け、しかもまったく効いていなかった小林の巨体が、たった一発の軽い金的蹴りで、あっという間にうずくまってしまったのである。
「ぐぐぐ…!!」
小林は両手で股間をおさえて、正座のような姿勢でリングに膝をついてしまった。 その痛がりようと、控えめ過ぎるように見えたファルコンの蹴りが、かえってそれがリアルな金的蹴りであることを物語っていた。
「やったあ、ファルコーン!」
「さいこー!」
会場は、女性たちの笑いと男たちのため息に包まれた。
「またしても決まったー! ピンクファルコンの金的蹴りー! くれぐれも言っておきますが、金的は男の急所です。男は金玉蹴られると、痛くて痛くてたまらないんです。会場にお集まりのお嬢さま方は、決して真似しないようにしてください!」
リングアナが、またしても挑発的なコメントを付け加えた。 女性たちの笑いは、さらに大きくなる。
「立てー! 小林―!」
「意地見せろー!」
静まりかえっていた男性ファンの間から、怒りを伴った声援が飛んだ。 彼らの憧れであり、男の力強さの象徴ともいえるプロレスラーの小林が、女の金蹴り一発で負けることなど、認めたくなかったのだろう。
「ぐぐぐ…!」
小林は言われるまでもなく、チャンピオンのプライドと男の意地にかけて、立ち上がるつもりだった。 気を抜くと、ブルブルと震えだしそうな膝をおさえ、前かがみになりながらも、なんとか立ち上がって見せた。
「おお。じゃあ、いつものアレ、行こうか!」
と、小林が立ち上がったのを見て、ピンクファルコンが観客席に向かって音頭を取り出した。 「椅子から立ち上がれ」と、両手でアピールする。 ピンクファルコンの試合を見慣れている女性たちが、いち早く立ち上がった。
「いくよー! せーの! ぴょーん!」
ピンクファルコンは、両手で股間をおさえ、少し背中を曲げながら、その場でジャンプをし始めた。 観客席にいた女性たちも、それに合わせて、同じようにジャンプする。
「はい、ぴょーん! ぴょーん!」
まだ股間に痛みの残っている小林の隣で、ピンクファルコンが股間をおさえて飛び跳ねている。 これも彼女の得意のパフォーマンスで、金的蹴りを食らった男が、金玉を降ろそうと飛び跳ねるのを真似して、おちょくっているのだった。 いつのころからか、それに観客席の女性たちも加わるようになり、会場内は、笑顔で飛び跳ねる女性たちと、それを苦々しく見つめる男性たちにくっきりと分かれてしまっていた。
「どうしたの? 飛ばないの? ほら、一緒に。ぴょーん!」
小林の目の前で、薄笑いを浮かべながら、楽しそうに飛び跳ねる。 男にとって、これ以上の屈辱はなかった。
「て、てめえっ!」
カッとなった小林は、股間の痛みを引きずったまま、気合で立ち上がった。 そして、目の前にいるピンクファルコンの股間に片手を入れ、もう一方の手で首筋を掴み、一気に持ち上げた。
「うおおっ!」
軽々と、ピンクファルコンの体を頭の上まで上げて見せた。 その時。
「やめてよ、ヘンターイ!」
「どこ掴んでんのよー!」
観客席の女性たちから、悲鳴のような声が飛んだ。 小林の手は、ピンクファルコンの首と、そのビキニパンツのようなコスチュームのお尻にかかっており、見方によっては女性のいやらしい部分に手をかけているようにも見える。 しかしそれは、プロレス技のボディスラムのかけかたとしてはごく自然な行為で、この会場に集まっている女性たちが、どれだけプロレスに関しての知識がないかを示しているようだった。
「いいぞ、小林!」
「そんな女、やっちまえー!」
ピンクファルコンも、あるいは先程のような華麗な身のこなしを使えば、技を抜けられるのかもしれないが、彼女もまたプロレスラーとして、小林の技を受けてみせるつもりかもしれなかった。
「おりゃあ!」
バタンッ!
小林はピンクファルコンの体を、投げ捨てるようにしてマットに叩きつけた。 さすがのファルコンも、堅いマットに背中から叩きつけられて、軽い呼吸困難に陥る思いだった。
「く…あ!」
演技なのかどうか、苦しみながら起き上がろうとするファルコンに、小林は容赦なくストンピングキックをみまった。
「ぐあっ! あっ!」
ますます苦しむピンクファルコンの姿に、女性客たちから悲鳴が漏れる。 逆に男性客たちは、今こそと立ち上がって、小林を応援した。
「まだまだぁ!」
何発目かのキックを放った後、小林はうつ伏せになっていたピンクファルコンの首をねじ上げ、その太い腕に挟んで、グラウンドのヘッドロックをしかけた。
「ああっ!」
ヘッドロックは、地味だが本気できめれば激しい痛みを与えることができる。 もちろん、演技としてやっている場合も多いが、今の小林には、そんなつもりは毛頭なかった。 相手が女であることも忘れて、怒りのままに本気のヘッドロックをしかけているのである。
「おおーっとー! チャンピオンのヘッドロックー! これは痛い。痛そうにしているぞ、ピンクファルコーン!」
事実、ピンクファルコンのマスクの上からでも、彼女の顔が苦痛にゆがんでいるのが分かった。小林の丸太のような二の腕と、分厚い大胸筋に頭を挟まれて、痛くないはずがない。 小林にとっては、ダメージを与えると共に、先程へし折られた男のプライドを取り戻すための、重要な儀式のような技だった。
「く…く…」
ファルコンは頭を挟まれたまま、必死に手を伸ばして、ロープを取ろうとしていた。 ロープに少しでも手がかかれば、ブレイクとなって技を解くことができる。 この駆け引きも、プロレスの醍醐味だった。
「ファルコーン! 頑張ってー!」
「あとちょっと! あとちょっとで届くよー!」
女性客たちは、祈るような思いでファルコンの手が伸びるのを見つめていた。 しかし、普段ならある程度の時間でロープブレイクを許し、試合を盛り上げようとする小林も、今度ばかりは簡単にロープまでいかせなかった。 もっとファルコンを苦しめてからでないと、気が済まないらしい。
「うう…!」
そういう小林の魂胆が、当然、ピンクファルコンにも伝わった。 ついにロープに手が届かないとみると、諦めたようにガックリと腕を降ろした。
「いけー! 小林―!」
男性客の声援に応えて、さらにファルコンの頭をねじ上げようとした瞬間。 ファルコンの手が、小林の股間にすっと伸びて、その膨らみをギュッと握りしめた。
「おぉうっ!!」
思わず小林は、声を上げる。 一瞬、ヘッドロックの腕が緩んだ。
「ああっと、これはー! ピンクファルコンの金玉潰しだー! これは危ないぞ、チャンピオーン!」
「うーっ!」
少しだけ緩んだ腕の下で、ピンクファルコンが唸り声を上げた。 小林の急所を掴むその手には、腕の筋がくっきりと見えるほどに力が込められている。
「はううぅっ!! は、離せぇっ!!」
「そっちこそ、離せー!」
小林はわずかに残された男の意地で、ヘッドロックを解かなかったが、もはやそれも時間の問題だった。 ギリギリと締め上げられているその股間からは、例えようのない激しい鈍痛が、内臓全体を掻き回すように広がっていく。
「いいぞ、ファルコーン!」
「そこよ、そこ! 握り潰しちゃえー!」
ついさっきまでピンクファルコンが劣勢だっただけに、女性客たちのボルテージは上がった。 それに応えるように、ピンクファルコンもさらに力を込める。
「ぬうぅー!」
ついに、小林の両手がファルコンの頭から離れた。
「あうぁー!!」
自分の股間を掴むファルコンの手首を握り、必死に引き離そうとするが、それはかなわなかった。 やがて、ヘッドロックから解放されたピンクファルコンが起き上がると、それにつられて、小林も立ち上がらざるをえなくなる。 しかしその両脚には、すでに力が入っていない様子だった。
「おおっと! 握りしめ合いでは、ピンクファルコンに分があったかー!」
リングアナがそう叫ぶと、ピンクファルコンは勝ち誇ったように片手を上げた。 その姿に、女性客たちは拍手を送る。
「それもそのはずです! 金玉は男の急所! ちょっと握られただけでも激痛が走るのです! どんなに鍛えても、我慢できない痛みなんです! まあ、我々には分かりませんが」
どっと、女性客たちから笑いが起こった。 リング上で金玉を握りしめられ、苦痛にゆがむ小林の顔が、彼女たちにとっては滑稽なものとしか映らないようだった。 一方の男性客たちは、小林の痛みを想像して、思わず自分の股間に手を当ててしまう者もいた。 そしてそんな姿を隣に見て、笑いあう女性客たちもおり、会場内は、一種独特な空気に包まれているようだった。
「ギブアップか? どう?」
握りしめ続けて数十秒。ピンクファルコンが小林に顔を近づけて、尋ねた。
「はあっ…うう…!」
「ギブアップしないと、潰れちゃうわよ? んん?」
楽しそうに笑うピンクファルコンとは対照的に、小林はもはや瀕死のような状態だった。 文字通り血を吐くような練習で鍛え上げた肉体など、何の役にも立たなかった。数々の屈強なプロレスラーたちをねじ伏せてきた小林の怪力も、女一人の握力を引きはがせずにいる。 ピンクファルコンと、それを見ている女性たちにとって、これほどの優越感を感じることはなかった。
「ピンクファルコンの必殺技、ナッツクラッシャー! 小林の金玉を締め上げている! 締め上げているぞ!」
リングアナが絶叫すると、観客席から声が湧き上がってきた。
「つ・ぶ・せ! つ・ぶ・せ!」
女性客たちは一斉に、小林の金玉を握り潰せとコールを送る。 事実、小林の金玉の運命は、完全にピンクファルコンに委ねられていた。それは小林にとっては、この上ない恐怖だった。
「フフフ…。じゃあ、お客さんの期待に応えようかしらね!」
小林の耳元に口を近づけて、囁くようにそう言うと、金玉を握りしめるその手に、グッと力を込めた。
「ぐああぁっ!!」
小林は演技でも何でもなく、絶叫する。
「えいっ!」
グリッと、拳の隙間から金玉を押し出すようにして、解放してやった。 最後の最後、ピンクファルコンの指の隙間を通る瞬間に、小林の金玉は大きく変形することを余儀なくされる。
「うげえっ!!」
解放された瞬間、前のめりに崩れ落ちてしまった。 今、この瞬間も痛いが、それがこれから先数十分か数時間も続くことを小林は分かっており、そう考えると気が遠くなりそうだった。 すると、ピンクファルコンはうずくまる小林の背中に片足を載せて、勝ち誇ったように胸を張った。
「潰すのは勘弁してあげる。男は金玉潰されたら、終わりみたいだからね。ハハハハ!」
笑いながら、小林の背中を踏みつける。 その姿はまさに、女性の優越性の象徴だった。 観客席にいる女たちは拍手を送り、男たちは、悔しそうに歯噛みしながらその光景を見つめることしかできなかった。 と、その時。
「こらぁ!」
突然、ピンクファルコンの背後から、一人のレスラーが襲いかかった。 体当たりをされて、ファルコンはなす術もなく吹っ飛んでしまう。
「てめえ、こらぁ! なめんじゃねえっ!」
それは、先程まで小林と死闘を繰り広げ、敗北した岡田だった。 岡田は自分の試合の後、リングサイドから小林とファルコンの試合を観戦していたのだが、ファルコンのあまりの挑発的な態度に、業を煮やして再びリングに上がったのだった。
「俺が相手だ、こらぁ! 男をなめんじゃねえ!」
岡田はここ数年、チャンピオンである小林に挑戦し続け、自他ともにライバルと認めている存在だった。 常に正面からぶつかって、死闘を繰り広げている好敵手が、ピンクファルコンの卑怯な手口によって敗北しようとしているのが、許せなかったようだった。
「フンッ! いいよ。かかってきな!」
不意打ちによって膝をついたファルコンだったが、すぐに体勢を立て直し、岡田を手招きした。
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