「私は伝説の勇者、ボールレジェンド! この街の平和は、私が守る!」
駅前に設けられた特設ステージの上で、金色のコスチュームに身を包んだ戦隊ヒーローがポーズを決める。 ステージの上には、この街の警察署長をはじめ、たくさんの警察官たちが並んでいた。これは、今日から始まるこの街の「安全週間」のメインイベントの一つだった。
「はーい。それでは、今日から一週間、ボールレジェンドが皆さんの街をパトロールしてくれるそうです。皆さん、見かけたらお気軽に声をかけてくださいね」
駅前に集まった住民や子供たちからは、大きな拍手が送られる。 ボールレジェンドは、人気の戦隊ヒーロー番組、「ボールレンジャー」に登場する新キャラクターだった。 物語の佳境で、レギュラーメンバーたちがピンチに陥ったところを圧倒的なパワーで救い出すという、ジョーカー的なキャラクターだ。 設定上は、レギュラーメンバーよりはるかに前からヒーローとして活動しており、地球だけでなく宇宙全体の平和を見守っている伝説の勇者ということらしい。 その肩書にふさわしく、ヘルメットをはじめ、全身がラメ入りのゴージャスな金色に塗られていた。
「ボールレジェンドー! カッコいいー!」
「レジェンドー! クラッシャークイーンに気を付けてー!」 駆け付けた子供たちから、声援が飛んだ。 ステージ上のレジェンドは、片手を腰に当てたまま、いちいち手を振ってやる。 広い肩幅と厚い胸板は見るからに頼もしく、伝説のヒーローの名に恥じないものだったが、最近ではボールレンジャーの唯一の弱点は、その股間にうっすらと見える膨らみであるということが、裏設定のようになっている。 そこには彼らのパワーの源である魔法のボールが入っていて、そこを攻撃されると、力が抜けてしまうというのだ。
「私はボールレジェンド! この街の平和は、私が守る!」
録音された音声が流れると、レジェンドは再びポーズをとり、そこでステージは終了となった。
一週間後。 レジェンドの安全週間は、特に大きな出来事もなく、終わりを迎えようとしていた。 レジェンドが街をパトロールするのは、一日に二回。 朝、子供たちが登校する時間と、夜、子供たちが塾から帰る時間帯だった。
「あ、レジェンド! こんばんはー!」
自転車に乗って家路につく子供たちが、嬉しそうに手を振った。 レジェンドは手を振るだけで、言葉を発することはない。
「こんばんは。気を付けて帰るのよ」
「通訳」をするのは、レジェンドと一緒にパトロールをする女性警官の役目だった。
「ふう…。一週間、なんとか終わりそうね」
塾帰りの子供たちもいなくなり、人気のない路上で、レジェンドの付き添いを務めている女性警官、香山ヨウコはつぶやいた。
「ですねー。まあ、なんだかんだでけっこう疲れましたよ」
ゴールドスーツに身を包んだレジェンドの口から、ため息交じりの男性の声が聞こえた。
「でしょうね。見るからに暑そうだもの、それ。山本君にしては、頑張ったんじゃない」
「いや、自分にしてはって、どういう意味ですか? これでも練習したんですよ。決めポーズとか、必殺技とか。大変だったんですから」
金色にペイントされたヘルメットの目の部分は、黒いフィルムが貼られており、外からうかがうことはできない。 しかしボールレジェンドの中に入っているのは、ヨウコの後輩である男性警官、山本だった。 予算の都合で、専門のスーツアクターを雇うことができず、やむなく新人警官の山本がこの大役を任せられたのである。
「あ、そう。そんな練習もしてたの。でも、やってることはパトロールなんだから、そんな必殺技なんか使わないでしょう。その、ボールゴールドだっけ?」
「ゴールドじゃないですよ。レジェンドですよ。ボールレジェンド」
「あ、そうか。だって、見た目が金色だから。間違えるわね」
ヨウコはおかしそうに笑っていたが、ヘルメットの下で、山本の顔は引きつっていた。 ボールゴールドといえば、山本は一か月ほど前、ヨウコが開いた女子中学生向けの護身術教室で、実験台としてさんざん金玉を痛めつけられてしまっている。 その後一週間ほど股間に鈍い痛みが残っていたことを、今、思い出してしまったのだ。
「あの、先輩…。自分、来年はあの護身術教室は…」
山本が言いかけた時、ヨウコの腰に付いた警察無線に、緊急連絡が入った。
「…緊急連絡。駅東口のコンビニで、強盗事件発生。現在犯人は逃走中。付近の警察官は、至急現場に急行せよ」
駅の東口は、ここから5分ほどの場所である。 無線を聞いたヨウコの顔色が変わった。
「了解。至急、現場に向かいます」
迷わず本部に連絡をする。
「そういうことだから。私は現場に向かうわね」
「あ、自分も行きます!」
ボールレジェンドに扮した山本も、今の自分の姿を忘れてうなずいた。
「あなたが行ったって、しょうがないでしょ。無線も持ってないんだから。もうすぐ時間だから、今日はもう署に戻りなさい。そこで着替えて、待機。わかった?」
「あ、はい! 了解しました!」
ボールレジェンドが右手を上げて、敬礼した。 ヨウコはその姿に、思わずクスッと笑って、その場をあとにした。
人気のない路地裏に残されたのは、伝説のヒーローただ一人である。 遠くに見える駅の方から、パトカーのサイレンが聞こえた。 山本は、とにかくいったん署に帰るつもりだった。しかしこの一週間、ずっとヨウコに付き添われてパトロールをしてきたため、いざ一人きりになると、何か心細いものを感じてしまう。 せめてヘルメットだけでも外して、顔を出したかったのだが、テレビ局との約束で、人前で気軽に正体を明かしてはいけないことになっている。もちろん、タクシーを使ったり、ヒーローにそぐわない行動を取ることもできない。 やむなく、山本はボールレジェンド姿のまま、徒歩で警察署に向かうことにした。
「意外と走りづらいんだよな、これ…」
歩きながら、ヘルメットの下でつぶやいた。 このボールレジェンドのスーツは、体格のいい山本にとっては少し小さめだった。胸板や腕の筋肉が強調されるのはいいとしても、股間までぴっちり張り付いてしまい、一週間着続けた山本は、軽い股ずれを起こしてしまっていたのだ。 もちろん、股間の膨らみは隠しようもなく、動き方によってはその形までくっきりと浮き出てしまうため、山本は常に自分のイチモツの位置に気を遣わなくてはならなかった。
「前も見づらいし…。走れないよ、これじゃあ」
ヘルメットの構造上仕方のないことだが、夜にサングラスをかけているよりも、はるかに視界は悪かった。
「ん?」
ふと見ると、10メートルほど先の路上で、電柱の側にしゃがみ込む人影が見えた。 ここは繁華街の外れで、飲食店も多い界隈だから、酔い潰れている人も多く見かける。しゃがみ込んでいるのは、仕事帰りの若い女性らしい。 山本は状況を考えて躊躇したが、警察官としての責務を裏切るわけにもいかず、声をかけることにした。
「あー…その…。ど、どうしました?」
精いっぱい、ボールレジェンドの声を真似たつもりだった。 しゃがみこんでいた女性は、飲みすぎてしまったのか、気分が悪い様子だった。
「あ…いえ…ちょっと、気持ちが悪くて…。でも、もう大丈夫…きゃあっ!!」
乱れた髪をかき分けながら振り向くと、そこには全身金色のヘルメットをかぶった男が立っていた。 女性は思わず叫び声を上げてしまう。
「何よ、アンタ! 近寄らないで!」
「あ、いや。自分は、怪しいものではなく…」
ボールレンジャーなど知らない若い女性は、山本のことを変質者だと思ったらしい。 山本は、自分が警察官であることを言っていいものかどうか迷い、またそれをどうやって証明すればいいのかも分からず、うろたえるばかりだった。
「アンナ! どうしたの!」
山本の背後から、友人らしいスーツ姿の女性が駆け寄ってきた。 顔色から、この友人もだいぶ酔っているようで、山本はますます悪くなる状況に混乱した。
「あ、大丈夫です。自分は、この方を介抱しようとして…」
「この、ヘンタイ!」
駆け寄ってきた友人は、問答無用でボールレジェンドの股間に蹴りを入れた。 中に入っている山本にとっては、女性の腰から下は完全に死角になってしまっていて、無防備にその蹴りを受けることになってしまう。 メリッと、女性の足の甲が山本の股間にめり込んで、その膨らみを変形させた。
「はうっ!!」
絶望的な感触が山本の股間に走ると、次の瞬間には、両足から力が抜けて、両手で股間をおさえて、その場にうずくまってしまった。
「ううぅ…」
ヘルメットの下で、山本の額に冷たい汗が流れていた。 下腹部を中心として、重苦しい痛みが全身に広がり、体にまったく力が入らない。 山本は自分がヒーローであることも忘れて、ただ男としての最大の苦しみに喘ぐことしかできなかった。
「ちょっと、何よコイツ。新手の痴漢?」
「分かんない…。でも、ありがとう、ハルカ。さすが…」
伝説の勇者、ボールレジェンドを一発でノックアウトしたのがハルカで、しゃがみ込んでいたのがアンナ。二人は大学の同級生で、仕事帰りに飲みに行き、飲み過ぎたアンナが休憩しているところだったのだ。
「あれ…? でも…これって、アレじゃない? なんとかレンジャーの…」
驚きのあまり、気分の悪さも回復したアンナが、うずくまって苦しむ山本を覗き込んで、言った。
「え? …あ! もしかして、警察の安全週間のヤツ? あの、街をパトロールしてるとかいう…」
「そう、それ! なんとかレンジャーの。何だっけ…ボール? ボールレンジャー?」
「そうそう、それだよ。子供たちが言ってた。ボールレンジャーの…ボール…ゴールド…かな?」
完全に見た目だけで、ハルカは名前を決めた。 まだ酔いの醒めていない二人は、女子大生時代のような高いテンションだった。 うずくまっていた山本は、二人の会話を頭上に聞き、どうやら誤解が解けたようだと感じると、ようやくその上半身を起こした。
「ん…ああ…。そ、そうです。私は伝説の勇者、ボールレジェンド…! 街の平和を守るため、パトロールをしているのです…ん…!」
山本の下半身には、まだ痛みが残っていた。 立ち上がることもできず、正座のような姿勢で胸を張ろうとするヒーローの姿に、ハルカとアンナは、思わず吹き出してしまった。
「プッ…そうなんだ。アナタ、伝説の勇者だったんだ。アハハ!」
「ゴメンね。いきなり蹴っちゃって。やっぱり、ヒーローでもアソコは痛いんだ。アハハハハ!」
酔っぱらった女性たちは、遠慮することもなく大笑いした。 山本はその様子を見て、このままではボールレジェンドに不名誉な噂が立つと思い、また、男としてのプライドを守るために、腹を抱えて笑う女性たちの前で、立ち上がって見せることにした。
「い、いや…さっきのは、不意を突かれてしまったので…。私は伝説のヒーローですから。なんともありません…んんっ!」
膝に手を当てながら、痛みをこらえて、ゆっくりと立ち上がった。 自分ではスムーズに立ち上がったつもりでも、腰を引いて、若干内股気味になったその姿は、女性たちにとっては滑稽なものだった。
「アハハ! まだ痛そー!」
「無理しないでいいって。ハルカは空手やってたんだから。ヒーローでも、男の弱点はどうしようもないんでしょ?」
女性たちは、憐れみにも似た目で、山本を見ていた。 男の子たちにとっては強さの象徴のような戦隊ヒーローも、股間の急所を蹴られれば、ひとたまりもない。彼女たちの顔から、そんな言葉が聞こえてきそうだった。
「い、いえ! ボールレジェンドに、弱点などありません。少し、驚いてしまっただけで…。それでは、私はパトロールをしなければいけませんので…」
精いっぱいの強がりを言って、その場を立ち去ろうとした。 するとハルカとアンナは、酔って赤くなった顔を見合わせて、意味ありげに笑いあった。
「ねえ、ちょっと待って。私たちと飲んでいかない?」
「せっかく親切にしてくれたのに、失礼なことしちゃったから…。お詫びさせてもらえないかしら?」
二人は両脇から、山本の腕を掴んだ。 まさか中に入っているのが、現役の警察官であるとは夢にも思わず、酔った勢いで面白がっているようだった。
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