都会から少し離れた郊外にある、私立の名門校、桜心学園。 この学校は、少し前まで中高・短大一貫の女子高だったのだが、折からの少子化で、今では男子の生徒も受け入れるようになっていた。 いくつかの部活動も新設されることになり、学校の宣伝のため、優秀な生徒たちが全国から集められていた。 男子野球部もその中の一つである。
「お疲れ様でしたー!」
日もとっくに暮れた夜。ようやく野球部の練習が終わった。 すでに、他の部活動は練習を終えて、学校内には人っ子一人いないように見えた。 この日は満月で、程よい月明かりと街灯に照らされた道を帰るのは、野球部の主力である3人の選手だった。
「あー、今日も疲れたな。明日、休みてえな」
「そんなに練習しなくても、予選くらいは楽勝だよな」
「だよなあ。監督も、なんか必死になってるよなあ」
ピッチャーのタイチは、チームのエースで、しかも4番バッターだった。 トモヒサはタイチの女房役のキャッチャーで、カズマはセンターを守るレギュラー選手だった。 3人とも、スカウトされてこの学校に入学し、その期待通りに2年生ながら、すでにチームの主力選手になっている。
「なあ、明日また、マネージャーにお願いしてみないか?」
「え?」
タイチの言葉に、二人が振り向いた。
「お願いって…あの、こないだみたいな感じでってことか?」
「いいなあ。アレは元気が出てくるよなあ」
トモヒサとカズマの顔は、何か思い出しているかのようににやけていた。 それを聞くタイチの顔もまた、いやらしくにやけている。
「そうだな。まあ、こないだみたいな感じでもいいけどよ。今度はもうちょっと、進めてみようかなって思ってんだよ」
「え?」
「進めるって、お前…。やっちゃうってことか?」
「しっ! 声が大きいぞ、バカ!」
思わず大きな声を出したカズマをたしなめた。
「そんなこと…。いいのかよ?」
「で、できんのか?」
すっかり興奮してしまった様子の二人に向かって、タイチはちょっと勝ち誇ったような笑いを浮かべた。
「こないだ、マネージャーに見せてもらったときな、密かに仕掛けといたんだよ。カメラをさ。それが今、この中に入ってるんだぜ。これをばら撒くって言えば、どうするか…」
タイチは自らのスマートフォンを、得意げに見せた。
「すげえ! さすがだな、タイチ!」
「ビデオ撮ってたのか? マジで? ちょっと見せてみろよ」
「おい、待てって。お前、こんな所で見たって…」
「いいから、ちょっと見せろよ。ほら!」
タイチのスマートフォンを奪い取ろうとするカズマと、なだめようとするタイチ。 揉みあうようにして歩いていたからだろうか。彼らの目の前に、いつの間にか黒い人影が立っていることに、気がつかなかった。
「うおっ!」
「え! だ、誰だよ!」
3人は驚いて立ち止まった。 街灯の白い光を背にしたその人影は、どうやら若い女性のようだった。 時代劇に出てくる忍者のような、真っ黒い装束で全身を包み、その顔もまた、黒い覆面で覆われている。 唯一、目の部分だけが空いていて、そこから透き通るような白い肌と、まつ毛の長い切れ長の瞳が覗いている。
「私は月下会の者だ。お前たちに、裁きを下す!」
仁王立ちしたその女は、美しい声をことさら厳しい調子にして、言い放った。
「げっかかい…?」
「はあ?」
野球部の3人にとっては、まったく予想だにしない出来事だった。 しかし黒装束の女は、そんな彼らの驚きをまったく意に介さない。
「お前たちは1週間前、野球部マネージャーの波多ユキナに、猥褻な行為をしたな。そして今、さらに悪辣な行為をしようとしている疑いがあった。自分たちの罪を認め、大人しく裁きを受けるがいい!」
あまりにも堂々とした女の態度に、3人は思わず気を呑まれてしまった。 しかし、自分たちの秘密を知り、さらに密かに計画していた話も聞かれてしまったとあっては、このまま黙っているわけにはいかなかった。
「そ、そんなこと…。言いがかりだぜ! 証拠でもあるのかよ?」
「黙れ! 我々月下会が、学園の悪事を見逃すことはない。すでに調べはついているのだ。お前たちには今ここで、制裁を加える!」
問答無用と言わんばかりの、女の態度だった。 タイチたち3人は、顔を見合わせた。 確かに、彼らは先週、野球部のマネージャーであるユキナを取り囲んで、半ば強制的にその裸などを見せてもらった。 しかしそれは、今日のように生徒が帰った後の部室で密かに行われたことで、誰かにばれるとは思ってもみなかったのだ。 漏れるとすれば、被害者であるユキナ自身の告発しか、考えられなかった。
「誰から聞いたんだよ? ていうか、誰なんだよ、お前。そんな格好して。ふざけてんのか?」
体格と声から、自分たちとさほど変わらない年齢の女子に違いないと思ったカズマが、威嚇するような物腰で、黒装束の女に近づいた。 身長が180センチ近いカズマが近寄ると、女はことさら小柄に見えた。
「おい、何とかいえよ!」
と、カズマが女の肩を掴もうと、手を伸ばした瞬間。 スッと女はカズマの懐に入り、その右手を肩に担ぐと、そのまま背負い投げてしまった。
「かはっ!」
ズン、とカズマの巨体が地面に叩きつけられた。 受け身の取れなかったカズマは、軽い呼吸困難に陥ったが、女の攻撃はそれだけでは終わらなかった。
「せいっ!」
仰向けになったカズマの足元に回り込むと、迷わずその股間を踵で踏みつけたのである。
「ぎゃあっ!」
カズマの股間にある二つの柔らかい玉は、堅い踵の骨に踏み潰されて、無残に変形する。アスファルトに叩きつけられた背中の痛みさえ、忘れてしまうくらいの衝撃だった。 カズマはすぐに両手で股間をおさえて、海老のように丸くなってしまい、その様子を、タイチとトモヒサは呆然と眺めることしかできなかった。 あまりにも華麗な、流れるような一連の技だった。
「て、てめえ…!」
キャッチャーとしてチームの守備を司っているトモヒサは、カズマよりも背は低かったが、横幅があり、さらに大柄に見えた。 健全な高校球児を振る舞う彼らは、もちろん殴り合いのケンカなどしたことはなかったが、日々のトレーニングで鍛えられた筋肉があれば、こんな小柄で細身の女性に負けるわけがないと思っていたのだ。
フンッ、と、迫りくるトモヒサを見て、女が鼻で笑ったように見えた。 ごく自然な動作で一歩踏み出すと、力みのない動きで右手をあげる。そしてその右手を、迷うことなくトモヒサの顔面めがけて突き出したのである。
「うわっ!」
突然、飛来した予想外の攻撃に、トモヒサは動揺した。 女の攻撃は目潰しという程ではなかったが、トモヒサの視界を数秒間奪うには、十分すぎるものだった。
「はっ!」
そしてトモヒサの股間に、女の膝が深々とめり込むのである。 キャッチャーであるトモヒサは、野球部の誰よりも下半身の強さに自信を持っていた。部活動での練習も相当なものだが、それ以外でもランニングやスクワットなどの自主トレを、欠かしたことがない。 そうして作り上げられた自慢の足腰が、女のただの一撃によって、まるで砂山が崩れるように崩壊し、力が入らなくなってしまった。 そしてその後を追いかけてくるのが、男にしかわからない、地獄のような苦痛である。
「くうぅっ!!」
キャッチャーというポジションである以上、月に一度か二度は、ボールが股間に当たってしまうこともある。 しかし今の痛みは、その時の比ではない。小柄とはいえ、女の膝の質量は、野球のボールとは比べ物にならないし、股間を守るためのファールカップもしていないのだ。
「あ…あぁぁ…!」
急所の痛みを日常的に受けているトモヒサだからこそ、この痛みが絶望的なもので、自分がしばらくは指一本動かせなくなることを瞬時に悟った。 両手で股間を抑えたまま、女の前に跪いてしまう。
「お、おい…! 大丈夫か?」
あっという間に、タイチ一人だけになってしまった。 全国の中学校から選び抜かれ、過酷な練習によって鍛え抜かれた肉体を持っているはずの彼らも、男の急所を攻撃されればひとたまりもないということを、目の前にいる黒装束の女が、無言で証明している形だった。
「お前たち男は、いつもそうだ」
女は、息一つ切らした様子もなかった。
「大きな体と力さえあれば、女を思い通りにできると思っている。自分たちには、どうしようもない弱点があることも忘れて、な」
「ひっ!」
女が静かに歩き出すと、タイチは思わず、スポーツバッグに入っていた金属バットの柄を握った。 そのままバットを引き抜いて、女を近づけないように構えるが、黒装束の女は、一向にたじろぐ気配がない。
「私たち女には、知恵があるのだ。知恵さえあれば、最小限の力で男を仕留めることができる。本能に従うだけで、考えのない馬鹿な猛獣が、知恵のあるハンターに勝てると思うか? それと同じだ」
「う…うおぉー!!」
金属バットを見ても、少しもひるむ様子のない女を見て、タイチは覚悟を決めた。 使い慣れたバットを大きく振りかぶって、剣道のように女の頭めがけて振り下ろしたのである。
ガァン! と、金属バットの先端が、アスファルトにぶつかる音がした。 タイチの両手に痺れるような衝撃が走り、思わずバットから手を離してしまう。 すると、金属バットの攻撃を紙一重でかわしていた黒装束の女が、タイチの横にすっと回り込み、その股間に手を伸ばした。
「はうっ!」
手の痺れが抜けきらないまま、タイチは新たに訪れた苦痛に目を見張った。 女の細い指は、ピアニストのように優雅な所作で、タイチの両の睾丸をしっかりと絡め取ってしまっていたのだ。
「お前も忘れてしまっているようだから、思い出させてやろう。お前たち男の弱点は、これだ。ここにぶら下がっている、二つの小さな玉だ。これを掴まれれば、男は何もできなくなる。違うか?」
タイチの耳元で、女の声が囁いた。 女の口ぶりからは、強烈な男への嫌悪と蔑みが感じられる。
「う…ぐぅぅ…」
タイチの苦しみは、女に返事をするどころではなかった。 囁くような声とは裏腹に、女の手は強烈な握力で、万力のようにタイチの睾丸を締め付けているのである。
「こんなに脆い弱点があるのに、お前たちはなぜ女に勝てると思うんだ? 女の体には、こんなつまらないものなどついていない。男がいくら体を鍛えても、女には勝てないんだよ。そう思わないか?」
問いかけと同時に、女の指がさらにきつくめり込んだので、タイチは慌てて首を縦に振った。 それは男として屈辱的な相槌だったが、そんなことを考えている余裕は、今のタイチにはない。 女は、脂汗を流し、歯を食いしばって痛みに耐えるタイチの姿に、覆面の下で失笑したようだった。
「では、月下会の名において、尋ねる。森川タイチ。お前は、自らの罪を認め、反省しているか?」
女は再び、極めて威厳のある口調で、苦しみもがくタイチに尋ねた。
「は、はい…! 反省してます…」
もはや躊躇する様子もなく、ほとんど反射的に返事をした。
「いいだろう。ではこれで、裁きを終了する。だが、覚えておけ。我々月下会は、常にお前たちを見ている。もしまた悪事を働くようなことがあれば、その時は…」
女の指先が輪っかを作り、タイチの睾丸を二つながら締め上げて、引っ張った。 睾丸を引っこ抜くぞ、と言わんばかりの女の警告だった。もちろん、タイチの激痛は壮絶なものになる。
「あぁっ! し、しません! もうしませんから…!」
目に涙を滲ませながら許しを乞うその姿は、とても全国に名の知れた野球部のエースとは思えなかった。 女は満足したのか、覆面から覗く眼だけで笑って見せた。
「よし。そこでのびてる二人にも、伝えておけ。…目が覚めたらな」
女の膝が、タイチの股間に向かって跳ね上げられた。 限界まで引っ張られていた二つの丸い玉は、女の膝と手に挟まれて、潰れた饅頭のように変形してしまう。
「はがっ!」
タイチの脳内に、電撃が走った。 あまりにも大きすぎる痛みから精神を守るため、彼の体は一瞬にして気絶する道を選んだのだった。 顔面は一瞬にして蒼白になり、全身から一気に力が抜けた。 黒装束の女が、ようやく股間から手を離してやると、糸が切れた人形のように、その場に座り込んでしまった。
「……」
目的を遂げた女があたりを見回すと、そこには野球部の将来を担う、屈強な三人の男子たちが、それぞれ股間をおさえた無残な姿でうずくまっていた。
「任務、完了…」
独り言のようにつぶやくと、女はさっと身をひるがえして、夜の闇の中に消えていった。 それから一週間ほど、タイチ達三人が部活動を休むことになるのだが、その理由は誰も知らず、甲子園出場を至上命令としている野球部の監督を、大いに不安がらせてしまった。
終わり。
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