「本当にいいんだね? どうなっても、アタシのせいにしないでよ?」
「うるせえな! いいって言ってんだろ」
とある中学校。部活も終わった放課後の武道館で、前田ランと金崎ケンタロウが対峙していた。 二人は同じ空手部に所属していて、クラスも同じだったのだが、決して仲がいいわけではなく、むしろ犬猿の仲と言って良かった。 二人が軽い口げんかをするのは日常茶飯事だったのだが、今回ばかりは口だけでは済まなくなってしまっていた。 きっかけとなったのは、休み時間のミサキと友達の会話だった。
「ねえ、ラン。この前、高校生をやっつけたんだって?」
「うん、まあね。ちょっとからんできたからさ。やっつけたってほどじゃないよ」
「すごいねー。やっぱり、空手やってると、強くなれるの? アタシもやろうかなあ」
「男が相手だとね。簡単なときがあるよ。それは空手の試合では反則なんだけど」
「反則? なに、それ?」
「まあ、なんていうか、その、男のアソコ? アレをやっちゃえば、簡単だよ」
ランは少し照れながら、しかし自慢げに話した。 その言葉が、先ほどから聞き耳を立てていたケンタロウの癇に障った。
「えー。そうなんだ。男の急所っていうもんねー。ホントなんだあ」
「うん。アソコに当てれば、誰でも勝てるよ」
「それはどうかな」
たまりかねたケンタロウは、強引にラン達の会話に割って入った。 普段から仲の悪いランが、男のプライドを傷つけるようなことを言っているのを、見過ごすことはできなかったのだ。
「女子の力じゃ、急所に当てたって、そんなに効きやしないと思うけどな」
「でも、実際にランは高校生をやっつけたんだよ。ねえ?」
「まあね」
ランは突然会話に割り込まれて、迷惑そうな顔をしていた。 ケンタロウは何かというとランにケチをつけてくるが、ランの方はケンタロウに特別な興味など持っていなかった。 ただ、自分が思ったことを言って、ケンカを売られれば買っていただけのことだった。
「それは、そいつが鍛えてないからだろ。根性が足りなかったんだよ」
「えー。急所って、鍛えられるのかなあ?」
「まあ、少なくとも俺には、お前の技なんか通用しないと思うけどな。弱い男を倒して、調子に乗ってるとケガするぜ」
どこにその根拠があるのか、ケンタロウは自信にあふれた様子で言い放った。 ランは、さすがにその態度に腹が立った。
「ふーん。まあ、そういうことでいいんじゃない? どうせ空手部の試合ではアソコを蹴られることもないだろうし」
「そうなんだ。反則だから?」
「そう。急所攻撃ありにしちゃうと、男子はすぐ負けちゃうんだって。女子の先輩が言ってたよ。確かにそうだよね。こんなに蹴りやすいところにあるんだもん。当てないようにするのが大変だよ」
ランはケンタロウの股間に目をやりながら、あざ笑うように言った。 女の子たちから見れば、それはごく自然な感想だったのだが、ケンタロウの男のプライドを傷つけるのにこれ以上のことはなかった。
「ふざけんなよ! 俺がお前に負けたことなんか、ないだろうが!」
「それは、アタシがアソコを狙ってないからでしょ。反則だからしょうがないけど。ある意味手加減してるって感じだよねー」
「なんだと! だったら、お前と反則なしで勝負してやるよ。俺の方が強いってことを証明してやる!」
ケンタロウの怒りは、ついに頂点に達した。
「はあ? 何言ってんの? そんなの、ダメに決まってるでしょ。先生に怒られるよ」
ランは冷静に答えた。 彼らが所属している空手部の試合では、金的だけでなく、顔面に攻撃を当てることも禁止で、しかも防具着用を義務付けていた。 しかし、ランを徹底的に打ち負かしてやりたくなったケンタロウは、反則なしで試合をして、彼女の顔面に拳の一つでも打ち込んでやるつもりだった。
「関係ないだろ! 黙ってればいいじゃないか。部活が終わった後にやろうぜ!」
周りにいたクラスメイトが、黙りこくってしまうほどの剣幕で、ケンタロウは迫った。 しかしランはそれでも、なかなか了承しようとはしない。
「逃げんのかよ! 勝負しろよ!」
散々挑発的な言葉を投げつけられて、ランの我慢にも限界が訪れた。
「分かったわよ! その代わり、どうなっても知らないからね!」
「望むところだ!」
こうして、二人は放課後に秘密の決闘をすることになってしまったのである。
部活動が終わった武道館には、ケンタロウとラン、それに男女の空手部員が数人、居残っていた。 彼らに指導をしている顧問の先生は、すでに帰ってしまっている。この決闘を止めるものは誰もおらず、男子と女子それぞれの期待を胸に秘めて、二人を見守っていた。
「やっぱりさ、防具を着けた方がいいと思うんだけど。危ないからさ」
すでにウォーミングアップをして、やる気まんまんのケンタロウに向かって、ランは声をかけた。
「ああ? 防具って、何だよ?」
「だから、体の防具もそうだし、その、そこの防具よ。金カップっていうの? 着けた方がいいんじゃないの?」
ランは純粋に心配して言っているのだが、それはかえってケンタロウを挑発するような効果しか持たなかった。
「今さら何だよ。この試合は、何でもありでやるんだろうが」
「それはそうだけど。やっぱり、防具はあった方がいいんじゃないかと思って。だって、もし潰れたりしたら困るでしょ、アンタのその、タマタマが?」
ランはちょっと言いにくそうに、ケンタロウの金玉の心配をした。 しかし、ケンタロウのプライドはますます傷つけられたようだった。
「うるせえな! 俺の心配なんかしてんじゃねえよ! どうせ、お前の蹴りなんか当たんないんだからな! 自分の心配をしとけって!」
ここまで言われると、ランも腹が立ってきた。自分は親切で言ってやっているのに、この態度はどういうことだろう。
「あっそう! 分かった。もういいよ。じゃあもう、何があっても知らないからね。アンタが自分で言いだしたんだから。きっちりと最後まで試合してあげるからね!」
「おう! 俺だって、手加減なんかしないからな!」
ランは完全に怒ってしまい、ケンタロウもそれに負けず啖呵をきった。 この時点で、ケンタロウは負けることなど想像もしていないようだった。 確かにケンタロウの実力は空手部でも随一で、試合形式の練習でも負けたことがあまりなかった。しかしそれはあくまで、金的攻撃が反則というルールがあってのことである。 ランはもちろん、周りで見守っている女子部員たちも、普段から男子を相手にすることがあっても、意図的に金的を狙ったことはなかった。 しかし、金的が男の急所であることはもちろん知っていたので、この対決でそのことが証明されることを期待しているのである。 逆に男子の部員たちは、金的攻撃ありでも女子に負けることなどありえないということを、ケンタロウに証明してほしいと思っているようだった。
「じゃあ、始めようか。審判、お願いね」
公平を期すため、審判を男女から一人ずつ出すことは、すでに決まっていた。 女子からはランの親友であるユナが、男子からはケンタロウに次ぐ実力を持つハヤトが選ばれた。
「では、三本先取勝負とします。始め!」
ユナの合図で、対決が始まった。 ルール無用ながら、通常の練習と同じ3本先取した方を勝ちとするとしたのは、ランの提案だった。 傲慢で、いつも自分に突っかかってくるケンタロウを懲らしめるには、この方法が一番いいと思ったのである。
「おう!」
「えい!」
二人はさすがに慣れた様子でかまえをとったが、その表情には普段以上の緊張がうかがえた。 何といってもルール無用で、防具すら付けていないのである。 目潰しなど、極めて危険な行為をすることは考えづらいにしても、やはり恐怖感はあるようで、お互い慎重に、相手の様子をうかがっていた。
「やあっ!」
静寂を破り、ケンタロウが先にしかけた。 右の回し蹴りを、ランの顔面めがけて振りあげたのである。
「くっ!」
普段の練習では完全に禁止されている攻撃だったので、ランの反応は遅れてしまった。 かろうじて腕でガードするが、体が崩れてしまう。これが男子の蹴りの威力なのかと、ゾッとする思いだった。
「へへっ」
一方のケンタロウも、自分の攻撃が相当の威力を持っていたことに、満足する思いだった。そのせいか、体勢の崩れたランへ続けて攻撃することはしなかった。 これがこの後の油断につながることは、まだ分かっていない。 ランは素早く体勢を立て直して、距離をとった。 危険すぎるケンタロウの攻撃をかわし、隙をついて一撃必殺を狙う作戦をとることにしたのである。
「いったーい。さすがに、当たるとヤバいなあ」
ランは冷静だった。 わざと苦しそうな顔をして、ケンタロウを図に乗らせることにしたのである。 案の定、ケンタロウは力に任せてランを叩きのめしてやろうと思った。大技を使えば、それだけ隙は大きくなる。ランの思うつぼだった。
「まだまだいくぜ! オラ!」
ケンタロウの中段回し蹴りが、ランの脇腹を狙う。 ランはしっかりとガードして、その威力を殺していたが、表情だけは痛そうにしている。
「オラオラ!」
ケンタロウは調子に乗って、左右の回し蹴りを交互に出していった。 さすがに鋭い蹴りだったのだが、距離をとっているランにはかろうじて届く程度で、その威力は期待できるものではなかった。 ただ、ランがまったく反撃してこないので、ケンタロウは図に乗って攻撃を仕掛け続ける。 それが単調なリズムになってしまっていることに、本人だけが気がつかなかった。
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