「あ…」
そんなヒロフミの様子を見て、アキノブはカエデに向かって行こうとするのをやめて、その場に立ちつくしてしまった。 男なら誰でも、金玉を蹴られた痛みなど、想像もしたくないものだった。しかもその痛みを与えた年下の女の子は目の前にいて、次は自分に狙いを定めている。
「ねえ、なに怖がってんの? 男の子でしょ?」
カエデは意地悪そうにほほ笑みながら、じりじりとアキノブに近づいていった。
「うわ…」
アキノブは混乱してしまった。 決して腕っぷしに自信がないわけではなく、むしろ同級生の中ではケンカが強い方だと自負していたのだが、それは暗黙のルールのある男同士での話だ。急所攻撃ありの女の子相手のケンカがこれほどリスクを伴うものだとは、想像もしていなかった。 自然と、アキノブの心は怯んでしまい、そしてそれを見透かしたように、カエデは作戦を実行する。
「あ! せんせー!」
アキノブと向かい合っていたカエデは突然、アキノブの後方に向かって手を振った。 アキノブは不意のことにハッとして、後ろを振り返ってしまう。
「え!」
当然、そこには誰もいない。 慌ててカエデの方に向き直ると、そこにはカエデの姿もなかった。
「よいしょ!」
小柄なカエデはいつの間にかアキノブの足元にしゃがみこんでおり、立ち上がりざま、ひざのばねを使ったアッパーカットをアキノブの股間に叩きつけたのだった。
ボン!
アキノブの二つの金玉は、カエデの小さな拳の上に乗り、恥骨に挟まれてグニャリと変形した。 アキノブはその瞬間、背筋に冷たいものを感じる。 カエデは拳にアキノブの金玉が乗った感触を感じると、勝利を確信したかのように立ち上がって、アキノブに背中を向けるのだった。
「う…あ…」
アキノブの混乱した頭にも、ようやく事態が分かりかけてきた直後、股間から強烈な痛みが湧きあがってきた。それは吐き気さえ催させ、アキノブは股間をおさえながら、横倒しに地面に倒れこんでしまった。
「さてと。アンタはさっき、ちょっとだけ手加減したんだよ。もう、大丈夫じゃない?」
二人の中学生男子をあっという間にノックアウトしたカエデは、まだ股間をおさえて内股になっているケイタに歩み寄ってきた。 確かに他の二人に比べれば、最初のケイタへの蹴りは手加減したものであったのかもしれない。無残に地面に転がっている仲間二人の苦しみ様を見て、ケイタ自身もそれを感じていた。 しかしそれが何を意味するのか、ケイタはまだ想像できなかったし、したくもなかった。
「アンタが泣くまで、いじめてあげるからね」
カエデはにっこりと笑ってそう言った。 先ほど蹴られた金玉の痛みも忘れるほどの恐怖がケイタを襲う。冷たい汗が全身から噴き出してくるのが分かった。 その時、傍らで様子を見ていたシンヤが、恐る恐る口を開いた。
「あの、カエデ…。もう、いいんじゃないかな…?」
カエデはとたんに笑顔を消して、シンヤを睨みつけた。
「なに? アタシはお兄ちゃんのためにやってあげてるんだけど。何か文句あるの?」
「いや…それはありがたいんだけど…。みんな、もう十分反省したと思うし…」
「ふうん。そうかなあ」
カエデは不満げな様子だった。 シンヤは金玉の痛みの分かる同じ男として、ケイタ達を助けようとしたつもりだったが、一方のケイタは、自分たちがいじめていた相手からの思わぬ施しに、プライドを傷つけられる思いだった。
「お、おい、中野! 誰が反省してるっていうんだよ! ちょっと不意打ちしたくらいで、調子乗ってんじゃねえぞ!」
ケイタは股間をおさえるのをやめて、シンヤとカエデに強がってみせた。 しかし金玉の痛みはそう簡単に引くはずもなく、内股で、腰の引けたその姿に、カエデは思わず失笑してしまった。
「ぷっ! だってさ、お兄ちゃん。反省してないよ、この人。もっといじめた方がいいんじゃない?」
「ケイタ君…。もういいから…」
おそらくカエデの金蹴りの痛みを誰よりも良く知っているであろうシンヤは、ケイタを制止しようとした。 しかしケイタはそれに聞く耳を持たない。
「うるせえ! お前! 勝負してやるよ。手加減しねえからな!」
ケイタはカエデに向かって威嚇し、立ち向かう姿勢を見せた。
「はーい。じゃあ、アタシも手加減しないね」
カエデは余裕の表情で、ケイタの方に向かってかまえた。 少し腰を落とし、いつでも蹴りが繰り出せる体勢をとる。それを見れば、カエデが何かしらの武道の経験があることは、明らかだった。
「な、なめんなよ! …く!」
勢いこんで踏み出そうとしたケイタだったが、足を動かすと想像以上の痛みが股間に走り、また前かがみになってしまった。 つい股間をおさえたくなったが、啖呵をきった手前、なんとかへそのあたりをおさえる程度でこらえた。 その様子をシンヤは痛々しそうに見ていたが、金玉の痛みの分からないカエデから見れば、滑稽という以外に言いようがなかった。
「あれ? どうしたのー? お腹痛いのー?」
カエデは笑いながら、白々しく声をかける。 ケイタは前かがみの状態で脂汗をかきながら、悔しそうにカエデを見上げた。
「ガンバ! 男の子でしょ? ファイト、ファイト!」
カエデはにこやかにケイタを応援してみせた。 ケイタは男の意地で体勢を立て直し、痛みをこらえながら、もはや破れかぶれになってカエデに突っ込んでいった。 しかしその突進には勢いがなく、振り上げた拳も、カエデにとってはなんなくかわせるスピードのものだった。
「はい、残念」
ケイタの攻撃をかわしたカエデは、その側面に回り込み、しなやかな回し蹴りをケイタの股間に叩きつけた。
「はうっ!」
その蹴りは先ほどとは違い、ケイタの金玉を正確にとらえるものではなかったが、すでに痛んでいるケイタの股間には、衝撃を与えるだけで十分だった。 ケイタはとたんにひざから力が抜けて、股間をおさえながら、その場にぺたりと座り込んでしまう。
「はわぁ…あ…」
再び襲ってきた強烈な鈍痛に、ケイタは思わず悲鳴をあげた。 歯を食いしばって天を仰ぐと、カエデが腰に手を当てて、ケイタを見下ろしていた。
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