数日後。 社会人にしては明るすぎる茶髪を無造作にかき上げながら、開発部の成瀬リョウコが営業部にやってきた。
「ねえ、ちょっと。竹内ってのは、どこにいるの?」
そういって捕まえたのは、誰あろう、竹内チナミ本人だった。
「はい? 私が、竹内ですけど?」
「ああ、そう。アンタが、あの報告書を出したの。へー。アンタ、何年目?」
「はい。二年目です! あの…報告書って…。あ、もしかして、開発部の方ですか?」
「そうよ。開発部の成瀬。アンタの報告書を受け取った人。ていうか、アンタみたいなのがファールカップの営業なんかしてんの? 軽いセクハラじゃない?」
あまりにもあけすけにしゃべる成瀬の言葉に、営業部長はドキリとしてちょっと目を上げたが、すぐにまた顔を伏せて、聞こえないふりをした。 チナミは少しずり落ちたメガネを上げて、きょとんとした顔をしている。
「まあ、それはいいとして。アンタの報告書によれば、あのファールカップは設計に問題があるってことらしいけど。どういうことよ?」
禁煙パイプを歯でかじりながら、長い髪をかき上げるその姿は、とても節度のある社会人女性とは思えないものだった。 しかし成瀬リョウコの最大の特徴は、そこまで粗野で無作法な行為をしていても、まるで関係がないほどに美しい外見だった。 まるでモデルのような抜群のスタイルと、芸能人顔負けの美しい顔が、チナミの前で苛立ちを隠せないでいる。
「はい! おっしゃる通りです。設計に問題があって、ダメらしいんです!」
「ダメって?」
こう見えて、某有名大学院の工学部を卒業という経歴を持つリョウコは、すでに開発部のボスと言っていい存在だった。その彼女にこんなにはっきりとダメ出しをするとは、なんという怖いもの知らずだと、営業部の全員が聞き耳を立てながら思っていた。
「はい! あれを着けてても、その…痛いらしいです。その…アレは…なんというか…」
「金玉が?」
「あ、はい! それです!」
きわめて無邪気な返事を返したチナミの顔を、リョウコは改めて確認するように、不機嫌そうな目で眺めた。
「いいかい。あのファールカップはね、3年前にアタシが設計したもんなんだ。あれに使われている強化ポリプロピレンは、圧縮応力の高い特別製で、アイゾットでもテンサイルでも予想以上の数値が出て…って、アンタにそんなこと言ってもしょうがないか」
まっすぐな瞳で見つめているが、何も理解していなそうなチナミを見て、ため息をついた。
「とにかく、あのファールカップに問題はないってことよ。ぜんぜん売れないって話は聞いてるけど。営業不足をこっちのせいにしないでもらいたいね!」
営業部全体に聞こえるような声で言う。 それでも、営業部長は何も言い返すことはなかった。
「あの、でも…やっぱり、痛いらしいんです。私はよく分かりませんけど…固い部分が当たるとかで…」
「当たる? 金玉に?」
「はい…」
チナミはさすがに恥ずかしいようで、小さくうなずいた。 リョウコはしかし、そんなことはまったく気にしていないようだった。
「確かにね。アタシには金玉なんてついてないから、よく分かんない部分もあるよ。ある程度は、想像で作ったところもあるけど。…アンタ、実験してみたの?」
「あ、はい! 実験してみました!」
「アンタ一人でやるわけはないから…。そこにいる、西田とかかな?」
今まで沈黙を守っていた西田だったが、なぜかリョウコに見透かされて、ハッと顔を上げた。
「はい! そうです! 西田さんに協力してもらいました!」
「ふうん。なかなかの行動力だね。でも、あの男で実験したって、正確な結果が出るわけがないよ。あんな男、金玉がついてるかどうか、怪しいもんなんだから」
この言葉に、机に向かっていた西田が思わず立ち上がって、リョウコの方を睨みつけた。
「はい。え? でも、ついてましたよ。すごく痛がってましたから」
チナミのこの言葉に、営業部の女性たちから失笑が漏れた。 その雰囲気に、西田は気まずそうに座りなおさざるを得なかった。
「へー。アイツもいっちょまえに痛がるんだね。まあでも、信用できないね。痛いっていっても、アイツに根性がないだけでしょ。他の男なら、平気なはずだよ」
「そうですか? でもやっぱり、売れないのは、着けても痛いからじゃないかと思うんですけど…」
「分かったよ。報告書を受け取って、何も対応しないっていうのもマズイから、実験してあげようじゃないの。ウチのファールカップを装着しても、効果がないのかどうかってことをね。それで文句ないだろ?」
「あ、はい! 実験してください。お願いします!」
チナミはうれしそうに、深々と頭を下げた。
「じゃあ、話のついでだから、西田! アンタちょっと、実験に協力してよ」
リョウコが声をかけると、西田はまさかとは思っていたが、という表情で立ち上がった。
「いや、お前…。ふざけんなよ。誰が協力するか…!」
「だって、報告書に書いてある実験結果って、アンタのことなんでしょ? じゃあ、それを再現してみないと、アタシの立場としては、何ともいえないね。アンタが痛いっていうなら、それを目の前で証明してもらわないとさ」
それなりに筋が通っているように聞こえたが、西田にとっては言いがかりのようなものだった。 念のため、営業部長の方を見てみると、目があった瞬間、部長は大きくうなずいてみせた。
「ぐ…いや、でも、それは…」
「グズグズ言ってんじゃないよ! 男らしくないね! 西田はタマ無しなので、実験できませんでしたって報告するよ!」
これも完全にセクハラといえる発言だったが、西田に返す言葉はなかった。
「…わかったよ! やってやるよ! ちくしょう!」
吐き捨てるようにそう言った。
「もともと、自分の担当してる商品のくせに。もったいつけんじゃないよ。じゃあ、そういうことだから。明日にでも実験してやるよ。必要なものは、全部こっちで準備するからね。また連絡する」
「はい! ありがとうございます!」
立ち去るリョウコの背中に、チナミは丁寧に頭を下げた。
この会社では、開発部は営業部のすぐ隣にあるのだが、成瀬リョウコは強引に実験室のようなものを作り、ほとんどそこにこもりきりで仕事をしていた。 地下2階にある、以前は倉庫として使われていたらしい実験室に、チナミと西田はこの日初めて、足を踏み入れた。
「うわあ。なんか、いろいろありますね…」
案外と広い、コンクリートの打ちっぱなしの部屋には、正体不明の機械や試作品などが、雑然と置かれていた。
「あ、山下くん。久しぶり!」
チナミと同期入社の山下は、リョウコと同じ有名大学の工学部出身で、開発部に配属されたとは聞いたものの、その後はまるで行方不明にでもなったかのように、見かけなくなった。 久しぶりに会ったチナミに、少し頭を下げ、何か言ったようだったが、小声で聞き取れなかった。
「ああ、アンタ、コイツの同期だっけ? なかなか優秀なヤツだよ。今日も、手伝ってもらおうと思ってるんだ」
見れば、山下はすでに黒いスパッツの上に、ファールカップを装着している。 大人しい彼は、入社以来、ずっとリョウコの実験に付き合わされてきたのだろうということが、それだけで分かった。
「アンタは? もう着けてきたんだろ?」
西田に問いかけると、渋い顔でうなずいた。 どうやらあらかじめ、ファールカップを着けてくるように指示されていたらしかった。
「じゃあ、さっそく始めたいんだけど」
「や、やっぱり脱ぐのか…?」
ためらっていると、リョウコは鼻で笑った。
「もちろん。正確なデータを取りたいんでね。ズボンの上からじゃ、計測できないだろ。早くしてよ。別に私も、アンタの裸なんか見たくて言ってるわけじゃないんだからさ」
そう言われると、西田は無言で眉をひそめたまま、ベルトを外して、ズボンを下げた。
「あれ…きゃあ!」
チナミが思わず声を上げたのも、無理はない。 前回と違って、西田は素肌に直接ファールカップを装着しており、その下半身は超小型のビキニパンツを履いたときのように、ギリギリの状態だったからだ。
「アンタたちが、ズレるとか言うからさ。色んな状況で試してみたいと思ってね。こっちは下着ありで、こっちはなし。実際、人によって色んな着け方があるみたいだしね。きっちりチェックさせてもらうよ」
「あ…そ、そうなんですか…」
西田は観念したかのように、堂々と立っていたが、その顔はさすがに赤くなっていた。
「じゃあ、始めるよ。今回は、このロボットを使う。男二人は、前に立って」
そこにあったのは、頑丈そうな土台に、回転するアームのようなものがついた、大きな機械だった。 アームの先端には、ゴムのような黒い塊がつけられている。どうやらこれで、男の股間を打ち上げるようだった。
「なんですか、これ?」
「こいつは、ゴルフのスイングロボットを改造したものさ。ゴルフクラブやゴルフボールの試験に使うもんだね。このアームが回転して、男の金玉を叩き上げるってこと」
「へー。すごいですね」
「まずは、どうしようかな…。ヘッドスピード30mくらいからいってみるか?」
「ヘッドスピードってなんですか?」
機械を操作するリョウコを、チナミは面白そうに、西田と山下は不安そうな顔で見つめていた。
「ゴルフのスイングの速さだよ。秒速30mで動くってこと。このロボットは、ヘッドスピード70mまで出せるけど、最初だからね」
「秒速30mっていうと、どのくらいなんですか?」
「時速100キロちょいってとこでしょ。野球のピッチャーの腕の速度くらいだな」
「へー。そうなんですかあ」
女性たちの何気ない会話に、男たちは一気に青ざめた。
「ちょ…! おい!」
「はあ? ちょっと待ってよ。今、セッティングしてるから…」
「待て待て! 待てって! 野球のピッチャーの腕の速度とか…バカ野郎、お前! そんなんで蹴ったら、とんでもねえことになるだろうが!」
「ああ、そう? ゴルフのスイングでいったら、平均的な速度だけどね」
「だから、ゴルフクラブで叩いたりしたら、とんでもねえことになるだろうが! もっと下げろって!」
「ふうん。まあ、いいか。どのくらいにしようかな。秒速20mくらいか?」
リョウコは男たちの金玉がどうなるかなど、あまり気にしていないようだった。
「あんまり変わんねえだろ! …最初は、5mくらいで始めろよ」
その速度でさえどうなるか、西田には想像できなかった。 しかし男の意見としては、できるだけ低い速度で実験を終わらせたいと思うのは当然で、山下も何も言わず、うなずいていた。
「はあ? 5mって、ハエがとまるんじゃないの? …まあ、最初はそのくらいでいいか。…よし、いくよ。まずは、山下から」
リョウコにそう言われると、山下は小さくうなずいて、マシーンの前に立った。 色白のやせ形で、絵に描いたような研究者のような風貌の彼にも、男として本能的な恐怖があった。
「いい? いくよ?」
しかしリョウコは山下の緊張などお構いなしに、マシーンのスイッチを入れた。 スイッチの横にあるランプが赤く光り、マシーンのアームが動き出す。 そのスピードは、チナミが西田の股間をぎこちなく蹴り上げたときと、さほど変わらないものだった。
ゴン!
と、アームの先端につけた硬質ゴムの塊が、山下の股間のファールカップを見事に叩き上げた。
「んっ!」
スポーツや格闘技の経験などまったくない山下は、股間に打撃を受けたことなど、ほとんど初めてといっていい経験だった。 しかし、彼自身が制作した硬質ゴムの質量を股間に感じると、その効果は彼が想定していた以上のものだったと実感する。
「どう? 何か感じる?」
リョウコとチナミは、まったく痛そうには見えなかったそのアームによる衝撃が、決して小さくない苦しみを山下に与えているとは、露ほどにも想像しなかった。
「あ…はい…ん…まあ…」
両手を後ろで組んだまま、クネクネと体を動かして、痛みを紛らわせようとする。 同じような動きを、先日の西田もしていたのだが、チナミにはそれに何の意味があるのか、いまだに分からなかった。
「山下くん、その感じを覚えておいてね。次のと比べないといけないから。ですよね?」
「そういうことだね。今のを基準にして、これの10倍くらいの衝撃まで、ファールカップは問題ないはずだけどね。計算上は」
「はい…。頑張ります…」
顔をしかめながら、山下はつぶやいた。 自分が今まさに着けているファールカップの構造や、性能の詳細は理解しているつもりだった。リョウコが言うことも、正しいとは思う。 しかし、パソコン上での計算と、実際に着けてみるのとではまったく違う話なのだと、山下は大急ぎで自分に言い聞かせざるを得なかった。
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