放課後の高校。 部活に所属しておらず、一緒に帰る友達もいない加藤ツバサは、いつも通り静かに、帰宅の準備をしていた。 詰め襟の黒い学生服を着てはいるものの、小柄で華奢な彼の体にはまったく似合っていなかった。 常に潤んだような大きな瞳には長いまつげがかかり、小さな唇はリップクリームを塗っているだけで柔らかく、艶めいて見える。 もう17歳になるというのに、彼の中の男性ホルモンは、外見上はまったく機能していないかのように見えた。
ブブブ…
学校ではめったに鳴らない彼のスマートフォンが、メッセージの受信を知らせた。 ツバサ自身も驚いたが、すぐにその内容を悟ったのか、白い指先で隠すようにしてスマホを取った。
『明日、空いてる?』
メッセージは、そう表示されていた。 差出人の欄に、「リオ」と出ている。 ツバサは無意識に、ゴクリと唾を飲みこんでから、心もち震える手でメッセージを打った。
『空いてます』
返事はすぐに返ってくる。
『うちに来て。朝8時くらい』
そのメッセージを読むと、ツバサは思わず顔を上げて、前を向いた。 その視線の先には、三つほど前の机に座っている、野口リオの背中がある。
「リオ、誰とラインしてんの?」
「んー。別にー」
リオの周りには2,3人の女友達がたむろしていて、これからどこに寄って行こうとか、明日の土曜日はどこに遊びに行こうなどと話している様子だった。
「リオは? 明日、一緒に行く?」
女生徒の一人が尋ねた。
「ん? いや、アタシはいいよ。明日、予定あるから」
「えー、マジで? 怪しいー。アンタ、彼氏できたぁ?」
「違うって。中学の友達がさ、文化祭やるんだって。それに誘われてるから」
「へー。文化祭かぁ。面白そうじゃん」
「うん。でも、そこって超お嬢さま高校だから。アンタたちと一緒に行ったら、その友達に引かれるから。ついてこないでね」
「はぁ? アンタ、それ超失礼じゃない? ていうか、行かねーし」
「だよねー」
リオとその友達の女生徒たちは、笑い合っていた。 その様子を見ていたツバサは、やがて目を落とすと、『分かりました』というメッセージを送信した。
翌日。 少し肌寒い秋の風の中を、野口リオと加藤ツバサが、連れだって歩いていた。 年齢よりも大人びた外見をしているリオは、グレーのセーターをゆるく着こなしたスタイルで、ショートパンツからストッキングに包まれた脚が長く伸びている。手にはエナメル生地の赤いハンドバッグを提げていた。 その少し後ろを歩くツバサは、まるでどこかのティーンズ雑誌から飛び出してきたかのような、可愛らしいワンピース姿だった。首元までつまった襟と、手が半分隠れそうなほどの長袖が、清楚で大人しい印象を与えている。唯一そのスカート部分の裾だけが、普通よりもだいぶ上の方まできているようだった。 すね毛などまったくない細い脚は真っ白で、黒いニーハイソックスがさらにそれを際立たせている。 どこからどう見ても、二人は休日にお出かけをしている女の子二人組だった。
「いいじゃん。似合ってるね、その服」
前を歩くリオは、ちょっと振り向いてから、今日何度目かになるその言葉を言った。
「あ…うん…。ありがとう…」
その度にツバサは、もじもじとしながら礼を返すのだ。 実際、女のリオの目から見ても、ツバサはカワイイ女の子だった。 朝、リオの家で着替えてからここに来るまで、何度そう思ったか知れない。 例えば電車の中。 リオはあえて少し離れて立ち、他人のようなふりをして観察していた。 ツバサは電車が揺れるたびに、スカートの裾がめくれはしないかと下を見たり、背後に若い男が立ったりすると、片手でさりげなくお尻をおさえたりして、意識しているようだった。 その姿は、まるで初めてのデートでお洒落をしすぎてしまった中学生の女の子のようで、横目で観察するリオの嗜虐心を満足させるものだった。
「でも…やっぱりちょっと…短すぎないかな…? このワンピース…」
言いながら、ワンピースの裾をギュッと掴み、手に持った小さなポーチで、脚が少しでも隠れるようにした。 この服は、リオに言われて、インターネットで買ったものだった。 普段のメイド喫茶のアルバイトなどでは、スカートの下にきつめのスパッツを履いて、股間のイチモツを押さえつけているのだが、この短いワンピースでは、スパッツを履くことができなかったし、リオにも履くなと命令されていた。 今、彼の股間を守るものは、女物のパンティー一枚でしかなく、少し激しい動きをすれば、イチモツがこぼれ落ちてしまうかもしれない状態だった。 それによって、ただでさえ大人しいツバサの動きはさらに控えめなものになり、さらにこの危うい状況が、彼の心に怪しい快感をもたらしているようにも見えた。
「いいってば。隠さないで」
リオはツバサの手を取って、スカートから離させた。 結果的に二人は手をつないでしまうことになり、それがツバサの心にさざ波を立てる。 リオは、そんなツバサの心中を見抜いているのか、ふと立ち止まると、じっとその目を見つめた。
「アンタは今日、アタシの従妹のツバサちゃんだから。まだ中学生の、大人しい女の子なの。わかった?」
口元は緩んでいたが、その目は笑っていなかった。 ツバサはその目を見ると、いつもの習慣で、反抗する気持ちを削がれてしまう。
「はい…」
小さくうなずくと、リオは満足した様にまた歩き出した。 やがて大きな建物が見えてきた。
「あ…。あれ?」
古いレンガ造りのその建物は、ツバサが想像していたよりも大きく、荘厳なものだった。
「そう。名前はなんだっけな。聖なんとか女学院だったかな。お金持ちの子供がいっぱい通ってるっていう、超お嬢さま学校だって。すごいよねー」
こともなげにそう言ったが、ツバサの耳には、意外すぎる単語が残った。
「え…? その…なんとか女学院って…?」
「うん、女子校。お嬢さま学校って言ったじゃん。小・中・高ってあるらしいよ。アタシの友達は、高校から通ってるんだけどね」
「え…? 女子校って…。その…文化祭は…」
「うん。なんか、けっこう警備が厳しいらしくてさ。女の子は誰でも入れるけど、男は基本、生徒の家族だけなんだって。でも、アタシ去年も来たけど、全然男はいなかったかなあ。やっぱり、女の子ばっかりだから、居づらいのかな」
「え…?」
ボクは男だけど、というツバサの心の声は、実際には音にならなかった。 すでに学校の入り口の門まで十数メートルというところまで来ていたし、あるいはこの会話も、門の前に立っている初老の警備員の耳に届くかもしれないという気持ちが働いたのだった。 ツバサは、初めて知ったリオのずるい「計画」に愕然として、思わず立ち止まってしまう。
「ん? どうしたの?」
リオは、あるいはこの反応を予想していたかのように、それすら楽しんでいるかのようだった。
「あ、あの…ボク…」
泣き出しそうな目で、スカートの裾をギュッと掴むツバサは、本人が思っているよりもはるかに女の子らしかった。 心持ち首を垂れて、白いうなじを見せるその姿を見たリオは、満足そうな笑みを浮かべて、その手を握ってやった。
「大丈夫。お姉ちゃんがついてるから。ツバサちゃんは、いつも通りしてればいいのよ。ね?」
ニッコリと笑ったその笑顔が、ツバサには女神の微笑みのように見えた。
「うん…」
思わず泣きつくような声が出てしまった。
「じゃ、行こう」
そのままツバサの手を握って、まるで本当の従妹同士のように、連れだって歩いて行った。 美術館の入り口のような重厚な校門をくぐるとき、脇に立つ警備員に会釈をする。
「こんにちはー」
「こんにちは…」
二人が頭を下げると、初老の男性警備員も帽子に手をやり、頭を下げた。 ツバサは心中、顔も上げられないほど緊張していたが、思春期の女の子を見慣れているその警備員にとっては、それはむしろ日常の出来事のようだった。
「ね? 大丈夫だったでしょ?」
校門をすぎてからしばらくすると、リオはそう言って笑いかけた。 ツバサも、最大の関門と思えたそれを突破した喜びから、次第に顔がほころび始めてきた。 改めてあたりを見回すと、文化祭ということで、校内は人で溢れていた。 そこかしこにテントが張られ、お菓子を売ったり、手作りの小物を売ったりしている。 制服を着ているのは学校の生徒で、私服なのは、リオのように友達から招待された生徒たちだろう。もちろんそれらすべてが女の子で、リオが言うように、男の姿など全く見えないようだった。
「あ、リオー!」
中庭に出されていたテントの一つから、声をかけてくる生徒がいた。
「あ、カナー! 久しぶりー! 元気してた?」
どうやらそれがリオの中学時代の友達らしく、二人は両手を取り合うようにして、笑い合った。
「今年も来てくれたんだね。ありがとう」
「うん。他の学校来るのも楽しいからね。今年は何やってんの?」
「あ、えーっとね。今年は、チョコバナナ売ってるんだ。買っていかない?」
「えー。タダにしてよー」
「またぁ。一応、売上目標立ててるんだから。協力してよね」
リオと友達が話しているのを、ツバサはその少し後ろからジッと見つめていた。 その友達は、普段リオが付き合っている女の子たちとは少し違って、どことなく上品な雰囲気の漂う、飾り気のない、真面目そうな女の子だった。 屋台の中にいる生徒たちもそれは同様で、超お嬢さま学校というリオの表現も、決してオーバーなものではないようだった。
「あれ? リオの友達?」
一通り会話をした後、ようやくツバサの存在に気がついたようだった。
「ううん。アタシの従妹。ツバサちゃんっていうの。まだ中学生なんだ。ツバサちゃん、この子がアタシの友達で、カナコっていうのよ」
「あ! …はい。ツバサ…です。よろしくお願いします…」
心の準備はしていたつもりだったが、メイド喫茶の自己紹介のようにはいかなかった。 思わず、上ずった声で答えてしまう。
「あ、私はカナコです。カナって呼んでいいよ。よろしくね、ツバサちゃん」
ニッコリと笑いかける。 そこにはツバサがいつもバイト先で見ている男たちのような、媚びた表情や性を感じさせるような仕草はまったくなく、ただ純粋な女の子同士の雰囲気しかなかった。 それがツバサにとっては新鮮であり、自分が女の子としか見られていないことを実感する。
「あ、はい…。よろしくお願いします」
これだけたくさんの女の子がいても、誰一人自分のことを男だと気付いていない。小さいころから女の子に憧れ、密かに女装を続けていたツバサにとっては、自分の努力がようやく実ったような気がして、嬉しかった。 と同時に、自分が実は男であることを隠しているという事実が、何か秘密の悪事でも働いているような、奇妙な高揚感と快感を、ツバサの心に与えている。 本人も気がつかないほどにゆっくりと、しかし確実に、ツバサの股間の男性の象徴が膨らみ始めていた。
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