首都圏のベッドタウン。 駅の近くのコンビニは、通勤時間帯は忙しいが、それを過ぎて夜にさしかかると、急に暇になる。 有線放送だけが鳴り響く店内に、来客を知らせるベルが鳴ったかと思うと、その直後、
「お前が、リュウってやつか?」
ドン、と缶コーヒーをレジカウンターに置いたのは、身長が180センチ以上はあろうかという、大柄な青年だった。
「え…。違いますけど」
レジにいたのは、地方から上京してきた大学生、川原キヨシ。 このコンビニで働いて一年半になる、バイトリーダーだった。
「え?」
ものすごい形相で尋ねたものの、拍子抜けしてしまったのは久木崎ヨウスケ。 その体格、気迫を見れば、何らかの武道か格闘技の経験があることは明らかだった。
「あの…。こちら、テープでよろしいですか?」
キヨシはとりあえず仕事をするため、缶コーヒーを手に取った。
「ああ…はい。…じゃあ! リュウってやつはどこにいる?」
いくらか気持ちを取り戻したのか、先ほどと同じ必死の形相で、ヨウスケが尋ねた。 キヨシにしてみれば、まったく訳の分からないお客で戸惑ったが、とりあえず落ち着こうと、下がりかけたメガネを上げた。
「リュウって…。ウチにいるリュウさんは、あの人ですけど…」
キヨシが指さした先には、カウンターの奥でポテトか何かを揚げているのか、一心にフライヤーを見つめる後ろ姿があった。
「あ、あいつが、リュウ…! って、女だろ!」
大きめの制服を着ているが、艶のある黒髪をお団子にまとめたその後ろ姿は、まさしく女性のものだった。
「そ、そうですよ。リュウさんは女性ですよ?」
キヨシがいぶかしげに言うと、ちょうどフライヤーに集中していたリュウが振り返った。
「あ、キヨシ! 揚げすぎちゃったから、食べてもいいデスカ?」
年齢はまだ20歳前か。控えめに言っても、かわいらしい顔立ちだった。 さらにその声もかわいらしく、スタイルも華奢だが、出るところは出ていて、申し分のない体型だった。 一人の女性として見れば、多くの男が恋人にしたいと思うようなルックスだったが、ヨウスケが彼女に期待していたものは、そんなことではないようだった。
「またですか? リュウさん、それわざとですよね。勘弁してくださいよ」
「ごめんナサイ。わざとじゃナイヨ。ドンマイ、ドンマイ!」
「いや、ドンマイの使い方、違いますから」
会話を聞いていると、外国人特有のイントネーションがあり、どうやら彼女は日本人ではないようだった。
「お前…いや、その、アンタがリュウって人か…?」
肩を震わせながら、ヨウスケはやっと声を絞り出していた。
「ン? そうデスヨ。わたしリュウ・シンイェンといいマス。いらっしゃいマセ」
ペコリと頭を下げると、リュウはすぐにまたフライヤーで揚げ物を始めた。 ヨウスケは、キヨシの目から見ても愕然としていた。 そして次の瞬間には、がっくりと肩を落としていた。 それがどうしてなのかはキヨシに分かるはずもなかったが、とりあえず缶コーヒーのお金を払ってほしいと思った。
「あの…128円になります」
「え? ああ…そうか。はい」
気の抜けた表情で、ヨウスケは小銭をポケットから出した。
「ちょうどお預かりします。ありがとうございました」
通常なら、ここでお客とコンビニ店員の関係は終わるはずだった。 しかしヨウスケは、どうやらここにいるリュウというコンビニ店員に会うためだけに、わざわざ来店したらしかった。
「なあ、その…アンタ。リュウさん」
「ハイ? 何ですカ?」
リュウの仕事がひと段落するのを待ってから、ヨウスケは改めて声をかけた。
「俺の知り合いに聞いたんだ。ここのコンビニに、リュウっていう、とてつもなく強いヤツがいるって。俺は空手をやってて、そいつは俺のライバルって感じだったんだが、そのリュウってヤツにコテンパンにやられたらしい」
「ハイ。分かりマス。お疲れ様デス」
リュウはにこにこしながらうなずいた。
「…まさかとは思うけど、アンタがそのリュウってヤツじゃないよな?」
一応の確認だったのだろう。半ばあきらめたような顔で、ため息とともに、尋ねた。
「ハイ。そうだと思いマス。一週間よりチョット前、そんなことがありマシタ」
「はあ?」
商品棚の品出しに出ていたキヨシが振り返るほど、ヨウスケは大きな声を出した。
「アンタが? あの…相塚を? やったのか?」
「ハイ。名前はしりませんケド。だいたいそうだと思いマス。あ、たぶんカ」
にこやかに話すリュウは相変わらず愛らしかったが、その華奢な手足で、ヨウスケのライバルをコテンパンに倒したとは、密かに聞き耳を立てていたキヨシにも、信じられなかった。 というより、普段から一緒にアルバイトをしているキヨシとしては、彼女が突然妙な男に絡まれているとしか思えなかった。
「…アンタ、そんな体で、強いってのか?」
いまだ信じられないながらも、いくらか警戒したように、ヨウスケは唾を飲み込んだ。
「イエイエ。わたし、そんなに強くないデス。もっと強いヒト、たくさんいます。でも、アナタよりは強いカナ」
ピリッと空気が張り詰めたのが、キヨシにも感じられた。
「なんだって? アンタが俺より強いって?」
「ハイ。ゼッタイ強いデス。たぶんじゃありマセン」
数秒の沈黙の後、ヨウスケは深く長い溜息をついた。
「女に手をあげるつもりはないが、見せてくれないかな? アンタの強さってヤツを」
「いいですヨ。でも、今仕事中なので。1時間したら休憩なので、その時でいいデスカ?」
「いいだろう。外で待ってる」
ヨウスケの手の中の缶コーヒーが、メキっと音を立てて、へこんだ。
「あ、でも、約束してくだサイ」
「…なんだ?」
「わたしに負けても、誰にも言わないでくださいネ。わたし、日本でアイドルを目指してるので! 強いのバレたら、こまりマス!」
「…! いいだろう。誰にも言わないよ。俺が負けたらだけどな!」
ヨウスケは吐き捨てるように言って、店を出ていった。 その後ろ姿を確認すると、すぐにキヨシがリュウに駆け寄ってきた。
「ちょっと! リュウさん、本気ですか?」
「ン? わたし、本気です! アイドル目指して、頑張るヨ! キヨシにもサインあげるからネ」
グラビアのアイドルのように、上目づかいでウインクをする。
「それは知ってます。サインももらいました。あのでっかい男の人と何するつもりなんですか? あの人、外で待ってますよ。警察呼んだ方がよくないですか?」
ガラス窓越しに、駐車場で仁王立ちしているヨウスケの後頭部が見えた。
「ダイジョブ、ダイジョブ。すぐ終わりマス。それよりキヨシ、この肉まんの賞味期限過ぎてるから、持って帰っていいデスカ?」
「いや、それはダメです」
すぐ終わるとは何のことなのか、キヨシには分からなかったが、リュウはいつもとまったく変わらない様子で、自分にできることもなさそうだったので、とりあえず様子を見るしかないと思った。
一時間後。
「じゃあ、休憩入りマース」
「あ、はーい」
いつもと同じように休憩の時間が来て、リュウは事務室に入るかと思った。 しかし、店の外に出ていく姿を見て、やはりあの男と何かするつもりなのだと、キヨシは再認識した。
「……!」
キヨシのいるカウンターからは、本棚に隠れて、ヨウスケの大きな体しか見えない。 しかし彼がリュウと何かを話したあと、駐車場の奥に消えていったのが確認できた。 あちらには、夜は人気のない公園しかない。 どうしよう。 あんな強そうな男が、若い女性と二人きりで夜の公園で何をするというのか。 やはり警察に連絡するべきではないのか。 独りで悩んでいると、突然、来店を告げるベルが鳴り、リュウが店内に戻ってきた。
「あー、外は暑いデスネー」
そのまま、何事もなかったかのように事務室へ入っていく。
え? と、キヨシの頭の中に、大量のはてなマークが浮かんだ。 ものの数分で、なんでリュウさんは戻ってきたんだろう。 あの男の人は? どこに行った? 1時間も待ってたのに。 二人は公園で何をしたんだろう?
理解不能すぎて、頭がパンクしそうだったが、リュウに直接聞くことは何か怖いような気がして、聞けなかった。 15分後、リュウが休憩からあがると、すぐに交代で休憩に入った。
「ちょっと、出てきますね」
さりげなく言い残して、公園に向かう。 そこはコンビニの駐車場から道路一本はさんだ場所で、それほど広くはなく、外灯もチラついているような、古い公園だった。
「…!」
植え込みの陰から、恐る恐る公園内を見渡すと、中央の広場でうずくまっている大きな影を発見した。 それはヨウスケに間違いなく、彼は前のめりにうずくまり、両手で下半身をおさえながら、小さく肩を震わせているようだった。 何があったのか、キヨシにはまったく分からなかったが、何か危険なことが起きたように感じて、すぐさま引き返した。
「いらっしゃいマセー。あ、キヨシ。おかえり」
店内に戻ると、リュウがいつもと変わらない様子で、にこにこしている。
「あ、あの…リュウさん。大丈夫?」
「ン? あ、ダイジョブよ。賞味期限過ぎてても、わたし、気にしないカラ」
「いや、そうじゃなくて。さっきの男の人、公園にいましたけど。何があったんですか?」
「あ、まだいた? ちょっと強めに蹴ったからネ。ドンマイ、ドンマイ!」
「強めに、蹴った?」
「ハイ。バシンってネ」
うなずいてにこっと笑うと、キヨシはそれ以上何も聞けなくなった。 何かよく分からないことが起きてることは確かだったが、自分には関係がないと思うことにした。
「リュウさん、ドンマイってゴメンって意味じゃないですよ。あと、僕がいないときに店の肉まん食べないでください」
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